三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

江戸時代に寺院は増えたのか

2017年12月10日 | 仏教

日本の寺院は400年以上の歴史を持つか、150年未満の寺に大別できる。
それは、1631年(寛永8年)と1692年(元禄5年)、幕府によって「新寺建立禁止令」が出たことによって、250年の間、まったく寺が建てられなかった。
廃仏毀釈が終わる1877年(明治10年)から新寺が建立されるようになる。
このように鵜飼秀徳『寺院消滅』に書かれてあります。

1632年(寛永9年)に幕府が提出させた、各宗派の本山に所属する寺の一覧表(末寺帳)によると、全国に1万2080ヵ寺あるそうです。

全国にある寺院のうち約10%が明治以降の寺だと『寺院消滅』に書いてありますが、現在は7万ヵ寺以上ありますから、計算が合いません。

松浦静山『甲子夜話』には全国の寺院数が40万ヵ寺以上と記されていて、浄土宗が12万ヵ寺、東本願寺が8万ヵ寺、西本願寺が4万5千ヵ寺とのことです。
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/18471/KJ00005090886.pdf#search=%27%E7%94%B2%E5%AD%90%E5%A4%9C%E8%A9%B1++%E5%AE%89%E6%B0%B8%EF%BC%96%E5%B9%B4+%E5%AF%BA%E9%99%A2%E6%95%B0%27
別の論文には10万ヵ寺程度ともあります。
https://system.jpaa.or.jp/patents_files_old/201205/jpaapatent201205_063-072.pdf#search=%27%E5%AE%89%E6%B0%B8%EF%BC%96%E5%B9%B4++%E5%AF%BA%E9%99%A2%E6%95%B0%27
この論文に指摘してありますが、人口3千万人で寺院が40万ヵ寺以上もあるとなると、70人が一つのお寺を維持していくことになるわけで、この数字には無理があると思います。

国立公文書館デジタルアーカイブで「諸宗末寺帳」を見ることができます。
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/category/categoryArchives/0400000000/0407000000/00
そこには「天台と浄土真宗は除く」とありますから、
寛永年間の寺院数は末寺帳に載っている1万2千ヵ寺よりも多かったことは間違いないでしょう。

千葉乗隆『真宗の組織と制度』によると、江戸時代に西本願寺の末寺が増えています。

天文年間(1532年~1555年)259ヵ寺(本願寺の東西分派前)
元和9年(1623年)1,000ヵ寺
元禄7年(1694年)8,337ヵ寺(西本願寺の末寺のみ)
文化3年(1806年)9,699ヵ寺
嘉永7年(1854年)10,264ヵ寺
新寺の建立が禁止された元禄以降も寺院が増えています。
とはいえ、『甲子夜話』にある数字ほどではありません。


寛永年間に道場の寺院化が急増したのは各宗共通の傾向であると、千葉乗隆師は説明しています。

惣道場・寄合道場・下道場・兼帯道場を、所属の寺または門徒から委任されて管理する僧を看坊または看主という。
個人建立の道場、または看坊道場が道場主の私有化を認められた場合、これを自庵(道場)と称する。
道場のまま寺号を許されたものもあるが、自庵化することで寺院として本山の末寺になったものが多い。

末寺帳の作製が看坊の自庵化、寺院化の大きな理由の一つである。
いったん末寺帳に登載されると、本山の直参化への動きが強くなる。
しかも、寛永の末寺帳は不備な点が多くあり、いずれ再調査される可能性が多分に予想されたので慶安年間にかけて本末の争いが多く生じている。
それに加えて、東西両本願寺の分派問題がからんでいる。

それとともに、キリシタン禁制に伴う宗門改めが普及し、寺請制による檀那寺の需要が寺院数の増加を要請した。
こうして道場の寺院化、看坊の自庵化、新寺創設が促進されることになった。

寺院数の増加についてネットを調べたら、「『福井県史』通史編3 近世一」にこのように書かれていました。

たび重なる新寺建立の禁止令にもかかわらず、一向宗道場の寺院化は減少しなかった。これらの新寺は、本山から寺号を下付されても藩庁ではこれを寺院として認めず道場格であった。このような寺号は「本山限りの寺号」、または「呼寺号」と呼ばれた。(略)
江戸中期以降になると、主として天台宗・真言宗などの旧仏教系寺院のなかには、「浮寺号」として台帳に寺号のみ残る廃寺が目立つようになった。呼寺号では満足できない一向宗の道場のなかには、これらの浮寺号を買得することによって、藩庁の寺院台帳上の寺号移動という形で古寺になろうとする道場が現れた。

http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T3/T3-5-01-02-03-02.htm

末寺帳には記載されていないけど、本願寺の末寺として認められている寺がかなりあるということでしょう。

そして、廃寺になった他宗の寺の寺号を買い取ること行われたとあります。
現在、宗教法人が売買されていることが問題となっていますが、江戸時代にも同じことが行われていたわけです。

森岡清美『真宗教団における家の構造』に、明治5年の真宗各宗派の末寺数が載っています。
西本願寺末 11,331か寺(興正寺末約3000か寺を含む)
東本願寺末 11,200か寺
専修寺末  808か寺
仏光寺末  379か寺

ちなみに、現在、西本願寺(浄土真宗本願寺派)の末寺は10183ヵ寺ですから、幕末よりも寺院が減っていることになります。
廃仏毀釈で多くの寺院が廃寺になっています。
鹿児島県では千ヵ寺ちょっとあった寺院がゼロになりました。

平成27年の仏教の寺院数は77,254ヵ寺。
明治10年は72,599ヵ寺ですから、あまり変わりません。
http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/shumu_kanrentokei/pdf/h26_chosa.pdf

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする