大昔になりますが、2004年4月7日、小泉首相の靖国参拝は違憲であるという福岡地裁の判決について、「産経抄」には次のように書かれていました。
国のために死んだ人々は英霊となり、靖国神社にまつられて“神”となる。おまいりすることはいわゆる宗教活動ではない。先祖をうやまう人間的で自然な儀礼なのだ。
毎日新聞でも岩見隆夫「粗雑すぎる靖国・違憲判決」と題したコラムに、「首相参拝がなぜ宗教的意義を持つかわからない」とありました。
神道は宗教ではないという国家神道の亡霊が今も生きているわけです。
慰霊や鎮魂、そして死者を神として祀ること、そして宗教法人に参ることが伝統文化であり、宗教とは別物だという主張に、神道関係者は抗議したのでしょうか。
靖国神社に参拝することは「宗教活動」ではなく、「宗教的意義」がないという新聞記者の無知は、宗教教育をおろそかにした戦後教育のせいかもしれません。
戦死者が靖国神社や護国神社に神として祀られることによって遺族が安心するという心情を政治が利用し、国のために死ぬ人を再生産する役割を靖国神社ははたしてきました。
島薗進氏は中島岳志氏との対談でこういうことを話しています。
とくに戦争が始まると、我が身を犠牲にするような軍人・兵士をマスコミは褒め称え、さらに民衆が喝采を送り、軍人・兵士も帰隊されたように振る舞うという循環構造になっていったわけですよね。(『愛国と信仰の構造』)
宗教を利用して国民の心を支配してきたわけです。
英霊は靖国に祀られると言って特攻に送り出すことと、殉教者は天国に生まれると教えられて自爆テロをする人とどう違うのか。
井上亮『天皇の戦争宝庫』は、皇居にある御府(ぎょふ)について書かれた本です。
日清戦争、北清事変(義和団の乱)、日露戦争、第一次世界大戦・シベリア出兵、済南事件・満州事変・上海事変・太平洋戦争の戦利品や戦死・戦病死者の写真・名簿を収蔵した5つの建物が皇居内にあり、天皇が英霊に祈りを捧げていると伝えられていました。
井上亮氏は小川勇『全国大社詣』(1944年)から引用しています。
御府は明治天皇の思し召しによって作られました。
天皇は臣民のことを常に考えている、ありがたいことだ、だから天皇のために尽くさなければならないという宣伝をしていたわけです。
戦没者が靖国神社に合祀された後、遺族は御府を拝観していました。
御府は「皇居の靖国」だったのです。
井上亮氏はこのように書いています。
敗戦になると、写真や戦利品は処分され、御府は廃止されました。
現存している建物は倉庫として利用されているそうですが、御府地区には立ち入ることはできません。
「戦争犠牲者は戦後の平和と繁栄の礎だ」という考えを、一ノ瀬俊也氏は「礎論」と名づけて批判しています(伊藤智永『忘却された支配』)。
戦争で命を落とした人たちは、自分がこの業苦を受忍すれば、日本は平和に栄えるはずと信じて死んだのか。
「礎論」は、生き残った者たちがやましさを取り繕い、因果をすり替えて唱和しているのではないか。
そこには、罪と責任から逃げたい心理が潜んでいる。
これは靖国神社に対する心情と同じだと思います。
村山富市首相は戦後五十年談話を出す前、文案を橋本龍太郎通産相に届けると、橋本龍太郎氏は「これでいい」と即答し、一つだけ、文中に「敗戦」と「終戦」が交じっていたのを、「潔く敗戦に統一したほうがいい」と注文したそうです。