三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

国民主権を否定する人たち

2016年06月30日 | 日記

先日、雨の中を自民党の国会議員さんが我が家を訪れて「○○をよろしくお願いします」と言って、自民党の政策パンフレットを置いていかれました。
パンフレットに「政治は国民のもの」とあります。
国民主権ということでしょう。

ところが、自民党の国会議員のなかには国民主権を否定している人がいます。
「創生「日本」東京研修会 第3回」(平成24年5月10日)での長勢甚遠元法務大臣の発言です。(14分58秒ぐらいから)

 

 

自民党の憲法草案というものが発表されました。私はあれを見て、正直言って不満なんです。自民党も戦後レジームの定着に(不明)はたしてきたんだなということを自ら言っているようなもんだと思っています。
なぜ反対かと言うと、一番最初にどう言っているかというと、自民党はですね、国民主権、基本的人権、平和主義、これは堅持するって言ってるんですよ。みなさん、この三つはマッカーサーが日本に押しつけた戦後レジームそのものじゃないですか。この三つを無くさなければですね、ほんとの自主憲法にはならないんですよ。ですから私は自民党員ですけども、この草案にはですね、反対なんですよ。(拍手で聞き取れず)
我々自身、戦後レジームの一員になっているんですよ。たとえば人権がどうだとか言われたりすると、平和がどうだとか言われたりすると、おじけつくじゃないですか。我々が小学校からずっと教えこまれてきたからです。これを建て直すのはなかなか大変な作業です。みんなで力を合わせて頑張りましょう。


西田昌司参議院議員は、「週刊西田一問一答」の「ネット騒動になった天賦人権論について」(平成24年12月25日)でこんな意見を述べています。(1分48秒ぐらいから)


憲法議論を「朝まで生テレビ」でしたんです。7月の、オリンピックが始まる直前です。その時にはっきり私は、いわゆる国民主権そのもの自体をですね、よく考えなきゃならないと、それはおかしいんだということを言っています。
しかし、なぜそういうことを言っているかというとですよ、そもそも私は戦後の憲法ができたときの経緯も、書いてある価値観も含めてですね、まったくおかしいところがたくさんあると。だからこれは否定する立場なんですよね。
それと、まったく違う憲法を出してきた人がいて、その中で議論する中で出てきたんですが、「国民主権というのは当たり前じゃないですか」ということを田原総一郎さんが言ったんですよね。
しかし、そこの当たり前だと思っていることを、なぜ国民主権というのがあるのかということを、もっと考えなきゃならないと、こういうことですよ。つまり、日本人が日本の国で主権者だと。つまり、韓国人じゃなくて日本人が主権者。アメリカ人じゃなくて日本人が主権者。これ、当たり前のようだけど、変じゃないですか。
つまり、人間だから同じなんだから、日本人だろうが、韓国人だろうが、アメリカ人だろうが、もっと言えばですよ、北朝鮮の人であろうがですよ、同じ人間として、日本でも外国人も日本人と同じだけの権利が当然保障されてもいいんじゃないかと。
ところが、日本人しか主権、つまり国政の、要するに法律を決めたり、国会議員を選んだりですね、そういう権限ですよね、それはないんですよ。じゃ、なんでということを考えてくださいよ。
そうすると、人権がですよ、天から賦与されていると、人権は生まれながらにしてですね、人の権利は、人権というのは、侵しがたい、絶対的なものだという論法からするとですよ、主権が日本人にあるというのが説明できないですよ。日本人だからあるわけですからね。だから、それは人権と言いながら、人の権利じゃないんです。国民の権利なんですよ。
では、国民の権利とは何かと言うと、国民というのが他の人と違うのは何かと。日本人が国籍を持っている意味は何なのかというとですね、たしかに国籍法で日本国籍を持っているということになるんですが、一番の原則は、どこまでいっても日本人の子供というのが日本国籍を持つことの一番の意味なんです。
じゃ、なんで日本人の子供が主権があるのかと言うと、この日本人の、我々の子供ということは、つまり我々の先代の日本人、そのまた先代の日本人をはじめですね、我々の先人がこの国を作って、築いて、守ってですね、こんにちまで伝えてきた。その努力とね、義務を果たしてきた正統な後継者、相続人なんですよと。だから、親の権利が、義務が、我々にも相続されて、権利として主権がある。義務としてさまざまなものがまたあると、こういうことですよ。だから、相続権なんです。日本人としての相続権を我々は主権と呼んでいるわけなんですね。
そう考えると、それぞれの国、地域によって当然、北朝鮮なら北朝鮮、アメリカならアメリカの相続人としての権利があるわけです。それがそれぞれの国の国民の主権なんです。
だから、人民の、天から与えられたということじゃなくて、人民主権というね、そういう考え方じゃなくて、その国、その国の歴史に基づいた権利というのがですね、その国の主権者の一番の理由でしょうと、こういうことなんですよ。
だから、国民主権と。国民主権でいいんですけど、要するに、その意味は何かと考えてみると、私が偉いんじゃないんですよ。国民が偉いんじゃなくて、我々の先人の相続人としての権利だと。もう少し、一歩ね、謙虚な姿勢で我々の権利行使を考えなきゃならない。
当然ながら、権利行使の裏には義務があるわけですよね。この国を守っていくという、またこの国の伝統を伝えていくという義務がある。その義務とセットになっている権利なんですよね。そのことがわかっていない人が多すぎるんですよね。だから、国民主権と言った瞬間、日本人はね、国民が一番上なんだと思っちゃうんですよ。
国民が一番上じゃないんだと。国民の上に先人がいるんですよ。先人の権利を我々が継承していると。そういう意味で、国民主権というのはおかしいんですと、そういう言い方をしているわけですよね。

反訳がありますが、話そのままを文字かしたものではありません。

西田昌司氏は国民主権と基本的人権をごっちゃにしているようだし、国民主権=相続権という考えです。
はたしてその意見は正しいかどうか、「主権」の意味をネットで調べました。

1 国民および領土を統治する国家の権力。統治権。
2 国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利。国家主権。
3 国家の政治を最終的に決定する権利。「国民―」

「主権在民」

主権は国民にある、という考え。君主主権説、天皇主権説に対する語。国民主権と同義。


国民主権を認めないということは、天皇に主権があるということになりますが、長勢甚遠氏や西田昌司氏はそのことには触れていません。

長谷部恭男氏は、近代以降の立憲主義は、さまざまな価値観・世界観を抱く人々の公平な共存をはかることを目的とすると説明しています。
多元的価値観・世界観を認めない創生「日本」の会員たちは、立憲主義の理念を否定しているわけです。

なぜ基本的人権を否定するかというと、マッカーサーの押しつけということよりも、自分たちの価値観に反する国民を認めたくないからだと思います。
自分たちが考える日本の伝統(=皇国史観)を守ること、そして私を捨て公に尽くすこと(=滅私奉公)が日本人としての正しい生き方だと考えているのでしょう。
そういう人たちが新しく作ろうとする「自主憲法」がどんなものか、推して知るべしです。


なお、自民党の政策パンフレットは憲法のことはまったく触れていません。

コメント
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