福田和也氏オススメの石原慎太郎『わが人生の時の時』を読みました。
ヨットやスクーバダイビング、戦時中の思い出、弟のことなどの掌編が40編。
自慢臭はところどころにありますが、面白いです。
特に怪異譚。
深夜、みぞれまじりの雨の中、道路端に立つ男の話は、都市伝説にあるタクシーの乗客の話そのままですが、怖い。
ですが、こういった話が重なると、『わが人生の時の時』は小説なのですから、あれこれ言うのは無粋ですが、石原慎太郎氏は霊や占いなんかを信じているのかと思いました。
たとえば、ベニグノ・アキノがアメリカからフィリピンに帰るとき、石原慎太郎氏の奥さんが方位と気を計算したら、暗剣殺と何かが重なるので忠告したが、それでもフィリピンに帰ったベニグノ・アキノが暗殺されたという話。
あるいは、お寺の跡地の再開発でビルを建てる際、墓地だったあたりを5mの深さまで手掘りでさらって、残っていた骨を拾い上げ、入念に供養をしたが、コンクリートの杭が一本だけが12、3mのところでつっかえてしまい、その場所を手で掘ってみると、ぼろぼろのされこうべを掘りあてたという話。
父親が死んだとき、媒酌をした関西に住む老婦人の家の茶室に父親が現れた話は二箇所に書かれています。
小野不由美『残穢』は、ドキュメンタリー・ホラーというらしいですが、淡々とした描写は、実際にそんなことがあったんじゃなかろうかと思わせます。
「今まで読んだ小説の中で一番怖い」というのもわかる怖さです。
同じ怪奇小説であっても、小野不由美氏は虚実を意識して書いているのでしょうが、石原慎太郎氏は不可思議な出来事が本当にあったと信じてるようで、なるほど霊友会の信者だと納得しました。
虚実の皮膜といえばウディ・アレンです。
『マジック・イン・ムーンライト』は、女霊媒師のウソをあばこうとする手品師が本物だと信じざるを得なくなり、という物語。
ウディ・アレンは『恋のロンドン狂騒曲』などでも占いや心霊主義にだまされる人を皮肉っていて、あっちの世界が本当にあるんですよという話になるわけがなく、女霊媒師はどういう手口を使っているかというミステリ仕立てになっています。
金持ちの未亡人が、浮気をしていたかと夫の霊魂に尋ねると、浮気をしたことはない、お前だけを愛していたという返事。
もちろんウソなわけですが、ウソの答えのほうが未亡人にとっては望ましい。
井上陽水の「夢の中へ」じゃないけど、虚構のほうがいいに決まっています。
以前、2ちゃんねるの漫画板に、「私たちは現実を忘れさせてくれる夢を見るために漫画を読むんだ」と書いたら、「一緒にしないでくれ」とか「現実逃避だ」とか叩かれたことがあります。
『カイロの紫のバラ』での、女主人公が現実から目を背けて映画を見るラスト。
映画だって、夢を見るために映画館に駆けつけるに決まっているではないですか。
とはいえ、霊魂や占いなどの超常現象を私は認めませんが。
今年の映画では『フォックスキャッチャー』に圧倒されました。
デュポン家の御曹司は、こうありたいという自分像(虚構)につぶされてしまいます。
そういえば『アナと雪の女王』で「ありのままの自分」と歌ってて、『シンデレラ』でも同じことを言ってて、デュポンさんもありのままの自分を認め、ウディ・アレンのように虚実の皮膜を楽しんでいたら。
いくら虚構のほうがいいといっても、現実と虚構の境目がわからなくなり、虚構の世界にはまり込むのはやはり危険です。
たぶん麻原彰晃も神のお告げという虚構を真実だと思い込んでしまったんでしょう。