三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

児玉真美『死の自己決定権のゆくえ 尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』(3)

2014年04月19日 | 問題のある考え

ジョディ・ピコー『私の中のあなた』は、白血病の姉のドナーになるために生まれてきた女の子が主人公の映画。
マーク・ロマネク『わたしは離さないで』は、ドナーになるためにクローン人間として生まれてきた子供たちの映画。
どちらも臓器を提供する道具として人間を見ているので、後味がすごく悪かった。

児玉真美『死の自己決定権のゆくえ』によると、『私の中のあなた』はSFではなく、「救済者兄弟」といって、臓器移植を必要とする子供のために遺伝子診断技術と体外受精で生まれてきた子供がいて、世界で初めて「救済者兄弟」が生まれたのは2000年だという。

『死の自己決定権のゆくえ』の冒頭に、ニューヨークの葬儀屋が遺体から使用可能な皮膚、骨、腱、心臓の弁などを採っては、元口腔外科医が経営するバイオ企業に流していたり、2006年のパキスタン大地震の際、臓器泥棒が逮捕されているということが紹介されている。
尊厳死(自殺幇助も含む)は臓器移植と関係がある。

一定の条件下で医師による積極的安楽死または自殺幇助を認める法律があるのは、3カ国とアメリカの3つの州である。
スイスには国内に1年以上在住した人を対象とするエグジットなどの自殺幇助機関や、外国人も受け入れるディグニスタスという施設がある。
エグジットなどの自殺幇助機関を利用して自殺したスイス在住者は2009年では300人近く、ディグニスタスで1998年から2011年の間に幇助を受けて自殺した人は1298人。
ラグビーの試合中の事故で四肢マヒになった選手(23歳)、本人は健康でありながら末期がんの妻と一緒に自殺した指揮者(85歳)、「老いて衰えるのがつらいから」という理由で自殺した人(84歳)など、終末期ではない人も含まれている。
実際に自殺幇助を受けるまでの費用の合計は6300ポンド(約100万円)。
チューリッヒ州は自殺ツーリズムを規制しようと住民投票をしたが、4分の3以上が規制に反対した。

オランダでは安楽死が合法化されており、2011年のオランダの安楽死者数は3695人、前年から559人も増加している。
認知症にも積極的安楽死が行われている。
また、安楽死に特化したクリニックが活動を始め、開始10カ月で約600の要請があり、81人が安楽死した。
希望者は主として終末期の病状の人、慢性的な精神障害のある人、初期の認知症の人になると予測されている。
さらには、70歳以上の人は、生きるのが嫌になったから死にたいと自己決定できることを認めるよう、運動が行われている。

日本も見習うべきだと言う人がいそうだが、当然のことだが問題がある。
オランダには25歳以上の重症脳損傷患者専門の治療機関が存在しないし、安楽死合法化によって専門医が国外に去って、緩和ケアが崩壊している。
希望する治療を受けることができず、緩和ケアも存在せず、残された選択肢の中に自殺幇助や安楽死があるのだから、自ら死を選ぶしかない事態になる。

尊厳死法案では、尊厳死の可否には2人以上の医師の判断が必要である。
しかし、高度に専門的で複雑な判断を下すには、どのような専門知識と経験のある医師であればよいのか。
また、医師の世界の上下関係の中で、2人目の医師の判断に独立性が担保できるのか。
自分と同じ考え方の医師を見つけてくればいいだけということにならないか。

アメリカのオレゴン州とワシントン州には「尊厳死法」があるが、ここでいう「尊厳死」とは医師による自殺幇助である。
精神障害のある人に十分なアセスメントなしに致死薬が処方されている、致死薬を飲む場に医療職が同席していない、かぎられた医師が多数の処方箋を書いている、自殺幇助合法化ロビーが関与しているケースが多いなどの問題が明らかになっている。
うつ病など精神障害によって自殺を希望している懸念がある場合、精神科に紹介することが求められているが、オレゴン州の自殺希望者の4人に1人はうつ病や不安症だったとのデータがあるにもかかわらず、精神科に紹介されたケースはほとんどない。
あるいは、致死薬を飲む際に医者が同席しないと、患者が自分の意思で飲んだのか、金銭問題など利害関係にある家族に飲まされたり、飲むようにそそのかされたとしてもわからない。
オレゴン州で活躍中の医師は約1万人で、そのうち致死薬を処方したのは1%の医師。
しかも、2001年から2007年に書かれた処方箋271件のうち、61%は20人の医師が書き、23%は3人の医師によって書かれていた。

『死の自己決定権のゆくえ』を読んで、こういう状況だということを知ると、日本では国が自死対策を行なっているのに、尊厳死という名の自殺・殺人を認めようというのはあまりにもおかしいと思ってしまう。

安楽死について重要な問題が2つ指摘されている。
1、意識のない成人重症者や新生児や子どものケースで、患者本人の意思表示なしに「必要性のケース」というカテゴリーを持ち出して安楽死が正当化され始めている。
2、安楽死が臓器提供とつながる。

『死の自己決定権のゆくえ』によると、ベルギーでは安楽死の要望書には臓器提供承諾書が一緒についており、すでに未成年への積極的安楽死が日常的に行われている。

OPO(臓器獲得組織)職員は、重症脳損傷の患者をどうせ助からない患者とみなし、患者が集中治療を受けている段階からOPO職員が家族に接触し、臓器提供に向けた働きかけ(ハゲタカのような振る舞い)が行われている。

「デッド・ドナー・ルール」といって、ドナーに死亡宣告が行われた後でなければ臓器を摘出してはならないという鉄則がある。
そのため、脳死に至っておらず、治療を続ければ生き続ける人から人工呼吸器を取り外すなどして人為的に心臓死を引き起こし、数分間待ってから臓器を摘出することが行われている。
脳死でなくても、甚大な脳損傷からも臓器摘出を認めるべきだという意見もある。

安楽死・尊厳死による臓器の提供は法律に触れないし、救済者兄弟やクローン人間のように手間がかかるわけでもない。
ただし、それは人間のモノ化につながってくる。

尊厳死をめぐる問題を知れば知るほど、おかしいことをおかしいと感じる感性が欠けつつあるのではないかと思う。

コメント (2)
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