三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

今年見た映画の悪口

2011年02月27日 | 映画

クリント・イーストウッド『ヒアアフター』
今年のベスト1候補ではあるが、だけど臨死体験は死後の世界をかいま見たと言われると、やっぱりね。

深川栄洋『白夜行』
話の展開が雑で、ご都合主義。
たとえば、ビルの屋上にいる人物をめざとく見つけたのに、なぜわざわざ隣のビルに上がるのか。
名前だけでどうして「○○を△△してほしい」と伝わるのか。
『風と共に去りぬ』の貸し出しを調べるのなら、まず小学校の図書館だと思うのだが、などなど。
原作は「このミステリがすごい!」2000年の2位、さらには「ベスト・オブ・ベスト」の8位だから、そこらはきちんと説明されていると思う。
というので、原作を読んでみましょう。

ノーマン・ジェイソン『夜の大捜査線』
1967年の作品、アカデミー作品賞である。
アップとズームの使い方などニューシネマ的で、何やら時代を感じる。
原作の『夜の熱気の中で』を読みたくなった。
悪口と言うよりも疑問を二点ほど。
署長役のロッド・スタイガーはユダヤ系ドイツ人だそうで、ミシシッピ州ではユダヤ人差別もあると思うが、そこらは見る人が見るとわかるのだろうか。
それと、暑いのにエアコンが壊れている部屋に、シドニー・ポワチエのスーツ姿はともかく、リー・グラントがコートを着て現れる。
金持ちは暑くても厚着をするのだろうか。

冨永昌敬『乱暴と待機』
『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』は面白かったが、同じ本谷有希子原作の『乱暴と待機』は少しも笑えない。
原作自体がダメなのか、監督(=脚本)が下手なのか、役者が大根なのか。
つまらない映画はなぜか原作を読んでみたくなる。

瀬々敬久『ヘヴンズ・ストーリー』
長ければいいというものではない。

プピ・アヴァティ『ボローニャの夕暮れ』
『ヘヴンズ・ストーリー』は被害者遺族だが、『ボローニャの夕暮れ』は加害者の家族。
いくら娘を案じてのこととはいえ、加害者側が被害者の母親の気持ちをもう少し思いやってもいいのではないか。
あれじゃあなと思うが、国民性の違いか。

カン・ウソク『黒く濁る村』
おどろおどろしくで、どんなすごい犯罪が隠されているのかと思わせるわりに、何なんだ、しょうもないというお話。

すずきじゅんいち『442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍』
チラシには田母神俊雄氏らの推薦文が書かれていて、それを先に読んでいたら行かなかったかもしれない。

シドニー・ルメット『十二人の怒れる男』
1959年度キネマ旬報ベスト1である。
だけど、意外と雑な作りなのにがっかり。
まず、ヘンリー・フォンダは、ここがおかしいからひょっとしたら無実かも、と思って無罪に手をあげたわけではないと言う。
ところが突然、犯行に使われたのと同じナイフを出すわけで、えっと思うわけですよ。
人を説得するんだったら、これこれこうだからと、順に説明するんじゃなかろうか。
木村晋介『キムラ弁護士、ミステリーにケンカを売る』は、『十二人の怒れる男』をけなしている。
犯行現場の階下に住む老人が人の声や物音を聞いたという証言は信用できないということについては、「この疑問は正論だ」とキムラ弁護士は言う。
向かいのアパートに住む証人B女は、被告が父親にナイフで刺したと証言する。
ところが、ある陪審員がB女には鼻にメガネの跡があったと思いだし、他の陪審員も同じことを思いだす。
B女の視力が悪ければ犯人が被告だとわかったかどうか疑問が残るというので、被告は無罪になる。
「僕が思わず、バカヤローとテレビに向かって怒鳴ってしまったのは、この最後の決め手の部分だ」
キムラ弁護士は、陪審員は証人の証言に集中しているので、鼻に跡があるかどうかに注意がいくことはないし、証言から何日もたってから5人の陪審員が思いだすことはありえないと言う。
それもおかしいけれど、そもそもB女は普段はメガネをかけているからメガネの跡がついているわけで、逆に証言が間違いない証拠とも言えるはずだ。
「陪審制度の下での捜査や法廷が、こんないいかげんなものだと思われては困るので、これだけははっきり念を押しておく」とキムラ弁護士は書いているけど、冤罪やらなにやらあるわけで、捜査や法廷の中には「こんないいかげんなもの」もあると思う。

コメント (1)
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