三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

布施勇如『アメリカで、死刑をみた』2

2008年12月13日 | 死刑

交通事故でお子さんを亡くされた方が「法律は冷たい」と、テレビニュースで言われていた。
子供が殺されたのに加害者が懲役○年では軽すぎる、ということである。
親としては当然の気持ちだが、被害者感情と被害者のケアと裁判とは分けて考えるべきだと思う。
裁判が感情に支配されたら公正さを失ってしまうから。

で、話は飛ぶようだが、裁判における公正さということでアメリカの死刑を考えると、多くは黒人である。
冤罪の死刑囚も黒人が多い。
人種差別という感情によって裁かれているわけである。

ジョセフ・アムライン氏(黒人)は、懲役15年の判決を受けて刑務所に服役していた。
刑務所内の刺殺事件が起き、3人の受刑者の目撃証言でアムライン氏は犯人とされ、死刑判決が言い渡される。
後にこの3人は証言を撤回するが、それでも申し立ては認められない。
死刑評決を受けて17年後にようやく釈放される。
虚偽の証言をした3人のうち、1人が真犯人、2人は取調官に強要されて嘘を言っている。
黒人で、しかも犯罪を犯して刑務所に入っているような奴が冤罪で死刑になっても、だからどうしたんだという感じなんだろう。

リンチと死刑執行には相関があるそうだ。
布施勇如『アメリカで、死刑をみた』にフランクリン・ジムリング氏の著書が紹介されている。
ジムリング氏によると、1977年から2000年までに行われた死刑執行数の比率は、南部がテキサスを筆頭に81%で、中西部10%、西部8%、北東部が0.05%。
一方、統計上、リンチは総数の約9割が1889年から1918年に集中し、この間、南部で88%、中西部7%、西部5%、北東部は0.3%と、死刑執行とほぼ同様の比率となっている。
リンチが少なかった下位の14州中、11州では1977年から2000年までの死刑執行はゼロ。

そして、1976年以降、北東部で執行された死刑は国全体の1%未満だが、北東部の殺人発生率は4地域の中で最低。
死刑の執行が多いのはテキサス州、バージニア州、ジョージア州、オクラホマ州、フロリダ州など南部の州だが、南部は殺人発生率が高く、全国平均の殺人発生率を上回ったのは南部だけ。
つまりは死刑は犯罪の抑止効果がないということである。

この人は死刑で、あの人は死刑にすべきじゃないとどうやって決めるのか。
テキサス州の中でもハリス郡の執行が飛び抜けて多く、州全体の25%、全米の9%を占める。
シスター・プレジャンは布施勇如氏にこう言う。
「あるところでは死刑を選ぶ検事がいて、別のところではそうじゃない。だから、平等に、公正に死刑を適用する方法はない」(布施勇如『アメリカで、死刑をみた』)
公正な線引きなど不可能である。
「「だって、人を殺したヤツらを殺すっていうのは、正義の要求だろう」という人がいる。その論理的に言わんとするところに従えば、じゃあ、そういうヤツらが子どもに性的暴行をしたら、毎週金曜の夜、「当局によるレイプ隊」が現れるの? 刑務所の中でレイプした人はどうなるの? 同じ理屈でしょ。そんな原理では、実践する人たちが堕落してしまう」

とはいえ、アメリカも変化しているそうだ。
2005年、連邦最高裁は犯行当時18歳未満の少年に対する死刑が憲法の禁じる残酷で異常な刑罰に当たるとの判断を示した。
執行数が飛び抜けて多いテキサス州では、死刑に問える事件において、仮釈放なしの終身刑も選択できるようにした。
アメリカにおける2007年の総執行数は42人と、1995年以降で最低となっており、1999年をピークに確実に減少傾向にある。
ところが、日本では逆に確実に増加傾向にある。
どうしてなのか不思議である。

コメント
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