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OURSブログ

社会保険労務士としての日々の業務を行う中で、考えたこと、感じたこと、伝えたいことを綴る代表コラム。

開業記②合格してはみたものの

2010-11-15 01:05:48 | 開業記
 厚生労働省が10月6日に発表した「2009年度労働者派遣事業報告集計結果」によると、派遣労働者数は対前年度比24.3%減となったとのことです。また派遣先件数は、一般労働者派遣事業(登録型)では対前年度比31.8%減(特定労働者派遣事業は0.2%増)ということで登録型派遣事業の派遣労働者数及び派遣先件数は2009年度の集計だけでも大きく減少しているとのことです。
 (社)日本人材派遣協会の「2010年7月~9月期労働者派遣事業統計調査」では、登録型派遣労働についてはさらに減少が続いているとのことで、同調査によるとこの期間の月平均実稼働者数は対前年同期比89.9%となり、リーマンショックの前の7割程度に落ち込んでいるとのことです。業務別では、事務用機器操作関係が77.7%になったのに対し一般事務は209.0%と、26業務に該当していないと考えられる派遣労働が期間制限のある自由化業務である一般事務として業務内容の見直しが行わたのは数字から見て明らかで、これはもちろん厚生労働省の「専門26業務派遣適正化プラン」によるものと考えられます。
 顧問先企業でも、登録型派遣の26業務の適正化は着々と進んでいる状況で、派遣労働者の契約満了に伴う契約打ち切りがとても多く発生しています。しかし、厚生労働省の10月26日の発表では、「専門26業務派遣適正化プラン」により2010年の3月~4月に指導したもので、違反の是正後9割を超す労働者が解雇などの問題が起きることなく雇用が維持されている(派遣先へ直接雇用65.9%)ことが分かったとあり、若干違和感を感じるものです。その後の期の状況(特に8月~10月)を見ないと何とも言えないと思いますので、登録型派遣労働者の派遣終了後の就業状況については引き続き発表される数字を分析していく必要があると考えています。
 それにしても改正法案を臨時国会で成立させるのであれば、十分な論議が必要であるにもかかわらず、このままで大丈夫なのか民主党!と心配になります。

 2開業前 合格してはみたものの

20代半ばから社会保険労務士試験を受けてみようと考えるまでの期間は、親の死や2度の流産など取り巻く環境がとても厳しく辛いこともありましたが、今考えてみると子育てやそこで得た友人に大きな影響を受け人間的にはとても成長した期間だったのではないかと思います。ところが子供が小学校に入った初めての図工の時間に「お母さんの仕事の絵を描きなさい」と先生に言われ描いたのが「うちのお母さんの仕事は昼寝」というもので「描き直したら?ご飯とか作っているでしょう?」と先生が言っても聞かなかったというのを家庭訪問で聞かされ「これはいかん!」と思いました。このことがきっかけで、これからの後半の人生で何をしていくか真剣に考え、どうせやるならパートでなくフルに本格的に働いてみたい、それには経験があるものが良いかもしれない、この年齢での再就職よりは細々とでも開業するというのが現実的かなど考え、それなら社労士試験を受けてみようと決めました。

 当時神保町三省堂の8階にあるTACのビデオ講座で合格を目指しているときは、久しぶりの勉強だったためテキストを開くのが新鮮で、講義を聞いてテキストや暗記カードに板書の内容などを書き込んで久しぶりの勉強が楽しくて仕方ないという感じでした。合格までの期間は、明確な目標があり、迷いなく目指すものがあるというある意味幸せな時期です。講義の中で当時講師をされていた佐々木先生の実務を交えた講義や宮川先生のポイントを押さえた講義が楽しく、ビデオ生ではありましたが教室のスケジュールに合わせ自分でカリキュラムを作り、家族のいない時間帯や夜中にせっせと勉強しました。
 
 通信の強みは何といってもマイペースで勉強できるところです。年末年始や5月の連休は子供と思いっきり楽しく過ごしたかったので2週間まったく勉強しないという戦略でした。受験は戦略と私は考えており、合格するまで何年かかかるだろうというのも戦略のつもりで、それまで執行猶予的な気分もありました。しかし、時間も十分あり当時の試験は今ほど難易度が高くなかったことも幸いして翌年平成3年の試験で合格することができました。ところが合格したら扉が開くはずとと考えていたものが、合格の葉書が来ても「コトリ」とも音がしないことに焦りました。

社会保険労務士 開業記①社会保険労務士を目指す前

2010-11-08 00:32:27 | 開業記

 5日金曜日は社会保険労務士試験の合格発表でした。今年は日経新聞の夕刊にも載ってしまいましたが、誤りの問題が択一に5問と過去最多となり、出題サイドとしては反省を強く求められるような結果になってしまいました。しかし、この誤りの問題が全問正解になったためか択一の基準点が48点と高く、その分選択式のいわゆる救済(2点または1点も合格とするという調整)が多く出た結果、実力が高く選択式の一つのミスで涙をのむという毎年のパターンが今年は少なかったように感じます。昨年担当していたクラスの方たくさんから合格のご連絡をいただいて、正直ホッとしました。これで私の講師としてのお役目からも本当に卒業しつつあるという気がするほどでした(平成19年にそれまで惜しくも合格できなかった受講生が一挙に合格された年と同じような感じです)。合格者の皆さん本当に長い間辛抱しつつよく頑張りました。おめでとうございます。また今年も涙をのんでしまった方はあきらめず頑張っていただきたいと思います。これまで先輩たちも色々な年を乗り越えて合格を手にしたのですから。

今年は国会がまったく動かず改正等の予定が見えずここにきてブログのテーマに困る状態です。前回も書きましたが、合格発表もあったことですし、しばらく開業記を書いてみようと思います。試験に合格してこれから開業を考えている方の参考になれば良いなと思っています。

1 開業前 社会保険労務士を目指す前
 社会保険労務士試験に平成3年の試験で合格し、平成5年4月に開業しましたが、私の社会保険労務士になる前の仕事歴はたったの3年間です。大学を卒業して当時の大卒女子は就職先がほとんどなかったこともあり、叔父と大学テニス部の大先輩のツテで大手広告代理店で10カ月アルバイトを経験しました。しかしアルバイトは所詮ボーナスもなく身分も不安定ということで、この状態はまずいと考え、新聞の中途採用の広告を見て「カネボウディオール株式会社」を受験して総務部の要員として採用されました。
 
 総務部といっても500名程度の会社であったため給与・労務・庶務・秘書と担当が1人か2人ずつ、その上に主任と課長と部長という感じでした。私は労務担当で、顧問社労士の先生に「資格取得届」の書き方など一通り教わり、1人で社員の労働社会保険の手続き担当することがお役目でした。この顧問社労士の先生は鐘紡のOBの女性社労士で、永島セツ先生といってその後私が開業した時は東京都社会保険労務士会の理事をしておられ、とても多くの方の面倒をよく見られる有名な先生でした。私の開業当時は女性の理事などほとんどいない状態でしたからそんなに偉い先生だったとは!とびっくりした次第です。そのような先生に指導をいただいたにもかかわらず、私はともかく自分の仕事のキャリアなど考えたこともなく、ある程度の年齢になったら結婚して会社を辞めて子供を3人は育てるという将来を考えていました(その当時は均等法も育休法もなくそれが女性の人生として一般的で当然という感じでした)。
 
 ということでカネボウディオールに2年勤務したのち結婚して、子供もほどなく生まれ10年間専業主婦時代を過ごしました。子供を育てることは予想通り楽しくて社会とつながっていないことの不安とか不満などはまったくありませんでした。同じころ父を亡くした私にとっては代わりに生まれてきた子供は宝物でした。また、どの道自分の性格からして中途半端では何ごとも満足できないのだから、ここは子供を育てることを十二分に楽しんでしまおうと考えていました。まったく迷いはありませんでした。しかし社会復帰してみたとき、私はこの10年間でカネボウ時代の子供だったお気楽OLとは大きく自分が変わっていることを感じました。やはり何事も1つのことを集中していればたくさんのことを得ることができその後の人生や仕事のキャリアに無駄になることはないということを習得しました。これは子育てだけでなく色々な状況のために仕事から離れて不安に感じている方にはぜひ伝えておきたいことです。「無駄なことなど一つもない、自分の考え方一つ」と思います。