私が卒業した学部は文学部です。本当は法学部にとても興味があったのですが、当時法学部や経済学部に行く女子というのはとても少なく、選択するには勇気が必要でした。短大の家政科などに進むのが花嫁修業には一番というような時代ですし、とても優秀であればそれはまた違ったのでしょうけれど、特に勉強家でも優秀でもない女子にとっては短大ではなく4年制大学に行くということだけでもちょっと背伸びしている感じだったと思います。社労士になってから法学部に行っていればなあと思うこともありましたが、大学に行ってもどこまで勉学が身についたかは不明です。とにかく4年間体育会のテニス部に所属して毎日テニスをして真っ黒になっていました。
恵泉女学園に高校2年の時に神戸の学校から転校してきて、そこで国語の先生がとても面白く授業をされていたので勉強が面白くなりました。今年の春BBクラブの会員である受講生OBがお子さんの入学式の写真を送ってくれたところ、我が母校の正門で写したものであったので嬉しくなりました。とても質の良い高校だったと思います。国語の先生の影響もありましたし、本を読むのが好きでしたので成蹊大学の文学部日本文学科に行くことになりました。大学の授業はやはり一般教養の「労働法」が面白いと思いましたが、日文の授業も漢字の由来を学ぶものなど結構興味深いものがありました。今であったらもう少し意識を高く勉強ができたかもしれません。意外と思われるかもしれませんが、卒論は「堀辰雄」です。近代文学の教授のゼミに入って「森鴎外」なども勉強しました。
しかし大学で一番学んだのは組織というものについてだったかもしれません。とにかく体育会は女子とは言えども上下関係はとても厳しかったですし、リーグ戦と言えば学校の名誉を背負って試合に臨むという感じで、「頑張る」ということについて、大学の体育会で初めて私は身につけたかもしれません。中学、高校とテニス部に所属していましたが、中学時代は特に強い選手ではなく、高校は大学受験もありそれほど熱心に練習や試合をしていた記憶はありません。しかし大学のテニス部は私の入学当時テニス界においては結構名門で特に男子はインカレでも上位にいるようなチームでしたので、1年生の時点で30人弱いた部員が卒業時は7人程度(それでも他の学年よりは多かったものです)になるような厳しい部活でした。先輩が箒を持って(テニスコートの)ラインを掃いていたら、ダッシュして「変わります」と言わなければなりませんでしたし、テニスコートに入るときは常に「失礼します」と言って入っていくという感じでした。そういえば中学から大学まで「うさぎ跳び」は嫌というほどやりました。ラケットにカバーをしてラケット振りなんていうのもトレーニングでよくやりました。入学当初は無意味に見えた上下関係が厳しい体育会という組織についても、自分が3年生になってみて初めて大事なことなのだと気付かされました。組織の中での役割を果たしていくという感覚がその時に育ったと思います。また決してあきらめてはいけないということも、また冷静に戦略を練っていくことも学んだと思います。
体育会の経験は今も私の中にはとても生きていると感じることがあります。体育会で育ったことについてある種誇りを感じています。
先日、社会保険労務士政治連盟35周年記念パーティーがあり、野田首相と安倍総裁のお二人が見えました。安倍総裁は大学の1年先輩であり、体育会のアーチェリー部でしたので当時は面識もありました。入学式の時にアーチェリー部に入部しないかと声をかけて頂いてついていったのですがあまりに弓矢が高額なのに驚き入部しなかった話はよくいろいろな場面でお話ししてきたところです。せっかく社労士会のお祝いパーティーに来て頂いたので、私の事なぞ忘れておられるかもしれないがご挨拶だけしておきましょうかと思い、名刺を持ってご挨拶に行ったところ「おや久しぶり!」と言っていただいて感激しました。「いつから社労士だったの?」「20年前からです」などとお話をしました。大学時代と変わらないやわらかい笑顔でした。とてもリラックスした雰囲気で、これからへの自信のようなものを感じました。これから大変だと思いますが頑張っていただきたいと思います。支部でもBBクラブにおいても私の良き支えての藤井さんが写真を撮ってくれましたので記念に載せさせて頂きます。