OURSブログ

社会保険労務士としての日々の業務を行う中で、考えたこと、感じたこと、伝えたいことを綴る代表コラム。

労災保険率メリット制について・開業記⑦事務所の構え

2010-12-27 00:44:27 | 開業記
 労災保険の保険率は業種により決まっており、簡単にいえば過去3年間のその業種の業務災害及び通勤災害に対する保険給付(支出)と保険料(収入)を勘案して上がったり下がったりする仕組みになっています。さらに、労災保険率は企業ごとの保険給付(支出)と保険料(収入)の比率として計算された過去3年度間の収支率によって、上げ下げが行われます。これをメリット制といいますが、このメリット制の対象となるのは原則として100人以上の労働者を使用する事業場ということになります。
 
 事業分割や一昨年のリーマンショックで希望退職などを募り事業場の規模が小さくなった場合など100人を切ることがありますが、本当に正確な人数であるかどうかは特に100人前後の企業規模である場合はミスなく把握する必要があります。例えばアルバイトの人数は入れているか、兼務役員はカウントしているか、出向者は出向先でカウントしているかを注意する必要があります。100人以上の労働者を使用する事業場であるかどうかは、概算確定保険料申告書の人数を見て判断されますが、その人数がそれほど重要とも思わず正確に書いていないことも結構あるのではないかと思います。「平成23年の労災保険率のメリット制が適用されなくなる」という適用除外のお知らせは年内に来ているようです(その場合平成21年度の確定保険料の基礎となった1か月平均の人数を見ています)が、メリット制が適用されるのとされないのでは結構な保険料額の差になりますので、細かな記入の箇所ですが正確に平均の労働者数を計算して書いて頂きたいと思います。

7 事務所の構え
 現在の事務所は青山学院の近くにある事務所用のビルの2階にありますが、開業当初は自宅の一室が事務所でした。自宅の一室というとまだ聞こえは良いのですが、当時住んでいたのは富ヶ谷という小田急線代々木八幡駅と井の頭線駒場東大前駅の中間地点の住宅地にあるマンションの2DKで、当然1室を確保することはできず、子供部屋の入り口にある1畳半部分が私の事務所スペースでした。顧問先が少ない時代でしたので事務所に来客があるわけでもなく、当初はそれでも嬉しくハリキッていました。開業2年後に子供も中学に入学し、新しい友人ができたところで電話をすると留守録が「小磯社会保険労務士事務所です。ただ今出かけております」と言うわけです。子供の友人は「小磯の家は探偵事務所らしい」と興味深々で、遊びに来て事務所を見てびっくり。「小磯事務所ってコレ~?」という塩梅でした。
 
 事務所と住居を分けたいと考えだしたのは、4年目くらいからです。TACの業務として講師だけでなく、教材の仕事も行うようになると忙しくなりアルバイトでよいのでスタッフを雇いたいと考えるようになりました。人を雇うことになれば自宅というわけにはいかない、また折々アドバイスを頂いていた大野先生が常に「良い仕事を得るためには事務所の構えが大切」と言われていたことも念頭にありました。

 ある日当時の私にとっては結構出費だった解釈総覧を購入して机に置いておいたのですが、子供が紅茶を自分の机に持って行こうとしずしず歩いていたにもかかわらず転んで買ったばかりの解釈総覧が紅茶で染まってしまった事件が起きました。その時私は思わず怒ってしまい、その夜布団の中で子供に本当に申し訳ないことをしてしまったと大反省(これは子供に言ったことはありませんが、可哀そうなことをしたと今でも思い出すと切ない気持ちになります)。そんなこんなで、多少の無理をしても自分で事務所の家賃を払う決心をして、自宅だけを引っ越すことにしました。名刺など色々なものを作り直すよりはその方が影響が少ないと考えたアイディアでした。平成10年の春に自宅を引っ越し、富ヶ谷の2DKは晴れて事務所となりました。

 富ヶ谷の事務所でそれから平成16年の夏に現在の渋谷2丁目に移転するまでの6年間を過ごしたことになります。従って、開業してからの5年くらいに顧問先になって頂いた企業は富ヶ谷付近にある会社が多いのです。その時から今もほとんどの企業にお付き合いを頂いていますが、労働保険料の申告書の中に同封されていた社会保険労務士の名簿を見て電話を頂いたり、近いとことにあるとすぐに来てもらえるからということで、仕事を頂いたことをよく覚えています。その後渋谷に移転してからも、HPで見て近かったからというお話を1,000人以上の規模の企業から頂くことがあり、事務所から近いところに顧問先企業は増えて行く傾向にあったことを考えると、事務所の立地は非常に重要だと思います。

 また、事務所の構えということになると、事務所が渋谷に移転してから企業の人事担当者の方や受講生のOBなどほぼ毎日来客がある状態となり、事務所はとても活気が出たと思います。富ヶ谷にいるときは、きっと靴を脱がずに入れる(当時はスリッパに履き替えていました)事務所に移ろうという目標を持っていました。10人程度は打ち合わせができる会議室が持てるということで、今年同じビルの2階に移りましたが、事務所の成長に合わせて事務所の構えも変遷があり、さらに今お付き合い頂いている顧問先企業に合わせて行くためには、再度移転も考えており、そういうことを一歩一歩実現していく楽しさは開業ならではなのだと思います。

雇用保険二事業の事業仕分け・開業記⑥たった1件されど

2010-12-19 23:26:19 | 開業記
 行政刷新会議による事業仕分けについては、本当のところこんなことをしていて大丈夫なのだろうかという疑問がどうしても湧いてきます。監査を務めさせていただいている「女性労働協会」が国からの委託事業として行っている「女性と仕事の未来館の運営」も事業仕分けにより廃止とされることになっていますが、ハコモノというところばかりが取り上げられて十分な調査や論議の上で出された結論とは思えませんでした。また廃止になるまでの時間があまりに短く、「いろいろ努力をした結果やはり廃止せざるを得ない」という段階を踏んだものではなかったため、なぜそこまで急いで廃止にしなければならないのかと非常に疑問を感じてしまいます。未来館のこれまで以上の有効活用をいろいろ試行錯誤して、その結果を見てから決める必要があったのではないかと考えるわけです。

 また労働保険特別会計事業も廃止ということで、こちらについては雇用調整助成金以外の雇用保険二事業や労災保険の社会復帰促進等事業などが廃止とされたとのこと。雇用対策のための助成金は雇用保険の二事業の事業であり、雇用調整助成金のみが除外ということではありますが、今後雇用対策の助成金は一般会計からの確保ができなければほとんどなくなってしまうとはひどく乱暴な話だと思います。社会復帰促進事業については未払賃金立替払事業も含まれており、倒産により未払いになった賃金を支払ってくれるという事業は労働者のセーフティーネットのはずですが、これも廃止とは民主党は労働者を守ることが基本ではなかったのかとその整合性のなさに驚いてしまいます。

6 たった1件されど
 ゼロからの開業の場合、顧問先が1件でもできるとずいぶん違うものです。1件でも顧問先ができるとまず気持ちの上で少し余裕ができますし、その1件で起こった事件は10件分くらいに話をすることができるのです。要するにその会社の就業規則を作る際に導入したみなし労働時間制のケースも、出張の日当に対しての社長の考え方も、遅刻の多い社員への対応についてのルールも、それぞれ色々な会社で起きたように話すことにより、次の仕事が入ったときに結構事例を持っているなと相手に思わせることが可能になったわけです。そういう意味で1件目の顧問先は開業したばかりの駆け出しというこちらの事情を分かってくれている先輩でしたので、とにかく一生懸命その企業のことを考えるという姿勢だけは忘れず、安心して分からないので調べてみると言えたことは本当に幸せなことでした。たった1件の顧問先ではありますがされどそこが出発点、突破口となり重みのある1件でもあるわけです。
 
 開業したら社労士会や支部が仕事をくれるのかと質問されることがありますが、それは基本的にはないと考えて良いと思います。やはり仕事は自分でとりに行くもの、それだから顧問先として契約してくれた企業を大切に思えるということもあると考えています。社労士試験を目指しているという話を友人にして、じゃあ合格したらうちの会社をお願いねと言われて、合格して開業したことを勇んで報告したところ「その手続きは自分たちでやっているから」と冷たく返されたこともあり、仕事はそれほど簡単には入らないなあと思う日もありましたが、またひょんなところから仕事を頂くこともありました。こればかりは、あれこれ考え工夫しひたすら種まきをして芽が出ることを待つしかないと思います。ちなみに開業してから18年がたちましたが、今なお常に種まきしていると自分では思っています(というより種まきが習慣になっているのかもしれません)。

 結局私がいわゆる営業に行って仕事をとったのはこの最初の一件だけです。あとはすべてご紹介やホームページから又は顧問先企業が分離してなどにより顧問契約して頂いたものです。開業社労士として生きて行く中で強く感じるようになったのは、人間関係は貸したり借りたりしながらお互いにかかわりながら生きて行くものということです。一方的に貸してればよいかというと決してそうではなく、時には借りを作ることも大切なことです。また貸すときはその人に返してもらうということではなく、同じ人に貸してばかりでも構わないのです。きっと自分は他で色々借りていることが巡り巡ってその人に貸すことになっているかもしれないと思うからです。そういう意味で種まきといっても、まいたところから芽が出るとは限らない、そこがまた面白いところですね。

年休継続勤務の考え方・開業記⑤初めての営業

2010-12-05 23:36:53 | 開業記
 年次有給休暇は、会社に入社当初は6箇月間、その後は1年間「継続勤務」していることが付与の条件になっています。この継続勤務は一つの会社に継続して勤務している場合がもちろん該当しますが、高年齢雇用確保措置として定年退職後継続雇用された場合はどうなるでしょうか?通達でこの場合も実質的に労働関係が継続している限り継続勤務として前後の勤務期間を通算しなければならないことになっています(昭和63.3.14基発150号)。
 しかし平成18年春の高年齢者雇用安定法の改正の前年、各企業からのお問い合わせに上記通達を元に、労働局にも確認した上で、継続雇用制度の場合は継続勤務として前年分も繰越し及び6.5年以上勤務している方には20日の年休の付与をしていかなければならないと回答しておりました。

 それが施行3か月前くらいになると労働局の担当部署の回答が「本来そのような考え方ではあるのですが、労使の合意があれば継続勤務として取り扱わなくてもかまいません」という回答に変わってしまいました。企業側のクレームがきつかったのでしょうか?要するに、継続雇用制度で契約する際の労働条件において、年次有給休暇の付与は6箇月継続勤務して初めて10日付与ということで、労働者が合意していればよいということです。その時私は焦りました。顧問先企業には情報として連絡ができますがセミナーで聞いてくれた企業などには情報としてご連絡するすべがありません。結局直前に駆け込みで準備した企業にはそれを伝えることができましたが、半年以上前からきちんと準備した企業に伝えられなかったという残念な思いが残りました。それ以来改正の際どのような行政解釈になるかは最後まで様子見と考えながら回答しております。

5 初めての営業
 TACに毎週1回行って法人事業部の業務である企業向け通信講座の採点をするのは5、6人で皆開業したばかりのメンバーでした。のちにこのメンバーが島中先生、三浦先生、井上先生と講師仲間になっていくのですが、駆け出しの頃にこのメンバーと一緒に仕事をできたのは本当に楽しく良い思い出です。

 まだまだ少ししかない実務仕事の中でも開業したての頃は疑問だらけでしたので、1週間疑問を貯めておいて、毎週水曜日の休憩時間に色々とに皆の意見を聞いてみるのです。知識経験ともに少ない中での意見交換ですから、今聞いたら卒倒しそうな内容のことをしゃべっていたような気がしますが、それでもずいぶん助けられました。

 2年後に新標準テキストを島中先生が書くことになり、皆で校正をしてそれを使って勉強会もしました。社労士は色々勉強しなければならないことが多くて楽しいなと思っていました。開業した時経験がなかったとしても、例えば事務指定講習で知り合ったメンバーや受験生時代のメンバー又は支部の自主研究会のメンバーなどの人間関係を大切にして、相談できる仲間を持つ必要はあると思います。支部のベテランの先生にはここはというときに相談することができますが、お忙しいのでそういつもいつもというわけにはいかないからです。

 そのような環境であっても、仕事は向こうから来てくれることはありません。毎週「顧問先できた?」と採点チームのメンバーに冷やかし半分聞かれてもなんの戦略もなく開業した身としては「顧問先なんてなくても良いんだから。私は研修とか受けられればそれでよいの」とかわすしかできませんでした。

 しかし3か月たっても何も起こらないとするとこのままずっとこの状態?というのもちょっと悔しくて思い切って営業に行くことにしました。初めての営業は脱サラした夫の先輩のところでした。先輩の会社をというより先輩のお仲間の会社で何かありませんか(今なら何かありませんかではなく「こういうことができますが」くらいは準備したいですね)、ということで今考えると営業ツールも持たず気の利かないことこの上ない営業であったのです。しかし、ちょうど就業規則を作った方が良いと税理士さんから言われていたので頼んでみようかなというお話を先輩から頂き、初めて開業社労士として仕事をすることになりました。就業規則を作成後顧問先となって頂いて、それから20年近く今も顧問先第1号としてOURSの名簿のトップに君臨する存在です。本当に感謝しております。

開業記④開業当初の状況

2010-12-05 21:56:09 | 開業記
 昨日は東京都社会保険労務士会の社労士教育学院が主催する「事例に学ぶ、労務監査のポイントと実務」の研修を受けに行きました。大野事務所のパートナー社員である野田先生と元渋谷支部支部長である内木先生が講師となり、ご自身の経験を惜しみなくお話し頂きたくさんの「気づき」や「なるほどというポイント」がありました。土曜日に研修というのも、ゆったりと勉強に集中できて意外に良いものでした。BBクラブの会員にもばったり会うことができて結婚の報告を受け、満たされた気持ちになりました。

4 開業当初の状況
 開業するには、まず全国社会保険労務士会連合会の名簿に登録する必要があります。そこで、登録するため開業する事務所の管轄の都道府県社会保険労務士会に申請に行くことになり、当時お茶の水と秋葉原の中間地点にある東京都社会保険労務士会に行きました。その当時はまだ開業者が今ほど多くなかったせいか、5時直前に駆け込んだにもかかわらず当時の会長である石原会長に面接をして頂いて社会保険労務士の心得をお伺いした覚えがあります。登録には20万円程度の費用が必要でしたが、開業の決心がつかない期間にアルバイトで貯めた貯金を充てました。
 
 事務所のゴム印、名刺、挨拶状を準備して、当時は電話も加入権を購入する必要があったためそのお金はなく自宅との兼用でしたしワープロ(当時はパソコンはそろそろ普及し始めたなくらい)も持っていましたので、それでOK。これで行くぞとワクワクしました。しかし挨拶状を出す人はみんな専業主婦になった友人ばかりで、ここに出して何か仕事に結びつくのかな~という感じでした。

 それだけすると何をして良いかわからなかったので、とりあえず覚えて頂いているとは思えなかったもののカネボウ時代の顧問社労士の永島セツ先生の事務所に思い切ってお電話して、社労士の事務所を見せて頂きたいとお願いしました。実はそれまで私は開業社労士を永島セツ先生しか見た(それも10年前)ことがなく、何かきっかけをつかむにもどう動いて良いのか分からずワラにもすがる気持ちでした。先生の事務所で何をお話ししたか緊張しまくっていた以外は今ではほとんど覚えていないのですが、とにかく所属する渋谷支部の支部長(現東京政連会長の富田弘先生)と、渋谷支部には東京会を将来背負って立つ副支部長(現東京会副会長の大野実先生)がおられるのでにご挨拶に行きなさいということでした。東京都社労士会という区分だけでなく支部という区分があり活動は支部が中心になるということが想像できました。そこで早速お二人の先生のところにご挨拶に行き、たまたま富田支部長が今日は定期会議があるので渋谷東武ホテルの親睦会に来なさい、ナニ会費なんていらないからということで、初めて社会保険労務士の集まる場に行くことになったわけです(本当に会費を持たず行って、お財布を開けたらそんなお金は入っておらず、受付の先生にびっくりされたのをよく覚えております。本当に世間知らずだったわけです)。

 その初日から、支部の先輩方はまったくわけのわからない私のような新規開業者に本当に親切に自分の開業当初のことなどを話してくれました。社会保険労務士の市場は今現在でもまだ余裕があると私は考えています。新たに顧問先になって頂いた企業にこれまで社労士がいなかったということはざらですから、同業者はライバルというよりは業界全体で水準をあげて行く仲間、みんなで協力しあい企業に必要とされる存在になるほうが大切だということになります。例えばその会でその後も様々なヒントをいただきいつも応援して下さる田中和典先生から「小磯さん、僕も開業当初は社労士の業務をしたことがなかったんだけど、ある時は会社の社長、ある時は事務員、ある時は社労士ということで使い分けて、分からないことを役所に電話したりして聞いたんだよ」ということを伺いました。「なるほどね~」と実に感心しました。その後私もよく開業したばかりの方にその話をしてきましたが、これは勇気をもらいました。支部の先輩の先生は何でも聞いてきたらいいよと言ってくださる方が多く、それは渋谷支部の特徴でもありまた社労士業界の全体の雰囲気でもあると思います。今思えばこの日やっと扉が開き始めたのだと思います。