大学院に昨年春までの2年間通ったことについては、その時のブログにも何度も書いたのですが少し時が経った今、振り返っておこうと思います。
ちょうど事務所も安定してきて、TACの講師も辞めて、社労士会での支部長等のお役目も終わり色々なことが一段落したため、思い切って社会保障を勉強できる早稲田大学大学院法学研究科に入学しました。ゼミの社会人入学の同級生は7名で、私が最年長でしたが1歳年下のやはり社労士も一緒で、あとは厚労省、金融庁、新聞社系列会社、市役所、一般企業と様々な職業を持つメンバーでした。よく皆で土曜日のお昼に大学界隈のお店や学食で、また先生が主催してくださる懇親会等の飲み会で授業、レポートの提出について、修士論文のこと、あとお互いの仕事のことなども話ながら仲良くさせてもらいました。
授業は1年目に単位をたくさん取ってしまい2年目は修士論文にできるだけ専念しようという計画で、1年目は平日の昼の授業も2つだけ取り、予習のため読まなければならない資料も膨大だったので、図書館にこもり過ごしていました。取得しなければならない単位は30単位で、1年目は平日3日、土曜日の午前中と週4日学校に通っており、26単位取得したのですが、レポートもひっきりなしにある上に節目ごとに修士論文の進捗を発表しなければならず、かなり忙しくしていたと思います。2年目はゼミ以外はほとんど修士論文にかかりきりで、夏ごろまではひたすらテーマに沿ってコツコツと文献や判例を調べていき、夏から書き出しあっという間に秋が過ぎ年明け提出、何とか修士論文が通った直後からコロナが拡大し、修了式(卒業式)は中止となりました。指導教授の菊池先生が修士論文が通ったお祝いということで開いてくださったイタリアンレストランの食事会が修了式代わりになりました。
2年間、もちろん事務所の仕事もあり、社労士会の海外出張もその間3度あり国内出張もかなりひっきりなしにあり、更に息子の結婚、セミナーも普通にこなしており、考えてみると良くこなせたなあと、最近はコロナでこもりがちで行動量が減っていることもあり我ながら感心します。
なぜこの年齢になってから大学院に通うことにしたかというと、これは開業して間もなくのころから先輩社労士の先生に勧められて、心の奥底ではいつか行きたいと考えていたからです。社会保障を選んだのは、普段の仕事の中ではほとんど労働法関係に接しているわけなのですが、TAC時代長く厚生年金保険法を担当し最初苦手だった年金が面白くなって社会保障をもっと勉強したいという気持ちが強かったからです。しかし大学院での社会保障の勉強は、やはり想像以上に範囲が広く、成年後見、児童福祉、介護保険などは知識が乏しく書籍を読んでもなかなか難解に感じ、又法哲学に至ってはロマンのない私にとってはお手上げといった感じでした。面白かったのはやはり医療と年金で、特に医療は複雑でとても面白く、今でも最も興味がある分野です。修士論文のテーマは労災保険の特別加入で、これは修論に引き続き小論文を書く予定にしていたのですが昨年はコロナで図書館が閉鎖となり、今年は仕事での執筆のご依頼が重なっており焦らず行くことにしました。また時間ができたら、温めたテーマをもう少し集中して研究した上で小論文を書いてみたいと考えています。
早稲田を選んだのは、社会人入学制度があり、テーマが社会保障であったということもあるのですが、スポーツが強いということも魅力でした。もともとわが母校の成蹊大学は、駅伝もラグビーもほとんどのスポーツで出場すらなかったり、あまり強くなかったりするので、もっと自分の学校を応援して盛り上がりたいなあというのが永年の夢でもありました。しかし大学院に通っているときは応援どころではなく、その点はちょっと残念でした。
大学院に行った後変わったこととしては、しょっちゅうレポート提出や発表のレジュメ作りがあるので、書くことについての抵抗感が薄まったということはあると思います。さらに、卒業して2年経ち、最近思うのは読む本が変わったと思うのです。興味がわくとそのテーマで次々と読みたいものが出てきてアマゾンですぐ購入してしまいます。お蔭でますます夜更かしになってしまうのですが、今読んでいるのは戦略思考について深堀したくて「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」でなぜ太平洋戦争に突入したのかという本はここのところ連続3冊目です。以前は手が出ない種類の本もどんどんつながってくると興味がわいて読んでいる感じです。そういう意味では大学院に行って視野が広まり楽しみが増えた感じです。大学院に行ったことは一つの財産になったと感じており、本当に幸せなことだったなとも思っています。
保護者と間違われた入学式