11 TAC社会保険労務士講座の講師は、平成7年から平成21年合格目標までの15年間務めさせてもらいました。時々受講生から、講師業は天職でしょうと言われるくらい私は楽しそうにやっていたのだと思います。
元来講師になるまでの私は、人前で話をすることが得意というわけではありませんでした。講師になってからもずいぶん長い間講義の最初のあたりは汗が噴き出てノドが詰まりそうになるということを繰り返していました。ただ人前で話をすることが苦手ということは「慣れ」ることで克服することができます。今でもアガルことがないわけではないですが、苦ではなくなりました。コツは最初の5分くらいの部分をしっかり話せるように予習しておくことと思います。そこをうまく通過すればあとはノッテきますのでなんとかなるものです。
長年マイクを片手に立って講義をするというスタイルでしたので、今でもセミナーなどで座って講義をすることが苦手です。先日も顧問先企業の拠点担当者の勉強会で立って話し始めたところ、「お座り頂いて良いですよ」と椅子を進められましたが、「立っていないと調子が出ないのです」とお断りしたら、笑われてしまいました。でも座って話すとおなかに力が入りませんしね。ついでにマイクがないのもちょっと苦手です。のどが弱くて声がかれやすいということもあるのですが、マイクがないとなんだかノリが悪いのです。
通信講座を結構担当しましたが、声の収録だけの方が好きでした。というのもカメラ目線というものがまったくできないわけです。とにかく15年間の最後の時まで、講義の時は必死に頭をフル回転させてしゃべっているという感じでしたので、カメラの方を向くなどという余計なことまで考えたくないという状態でしたし、なんだか照れくさいという感じもしていました。と言っているわりにはだんだんノッテくると結構ノリノリになってよく勉強法にかこつけて子どもの受験の話や今でも事務所を手伝ってくれている柔道の達人三枝さんの話など実務の話に絡めてしていました。今でも久しぶりに会った合格者に息子さん何歳になりました?などと聞かれたり、合格者が事務所に来られて三枝さんに会ったとき「あなたが三枝さんですか~。初めて会ったとは思えない」などと言われたりして(ご本人赤くなって)いました。子供から「僕のことは話すな~!」と家ではクレームを受けたりもしていました。
講義では実務の話と絡めて説明すればイメージが湧き覚えやすいのではと思っていましたので、実務は講義の勉強、講義は実務の勉強と考え相乗効果を狙っていました。ですから講義で出てくることをできるだけ自分で経験してみるということは意識していて、例えば子供が20歳になったときは早速学生免除を申請してみたり、事務所で中退共に加入してみたり、職安に行ったときに雇用保険の日雇労働被保険者の受付をウロウロ探してみたりしていました。講義で話している法律の内容が実務とピタッと来ることがあると納得という感じでとても快感でした。
受講生の思い出はそれぞれ尽きないのですが、最初平成7・8年の5月速習時代は私も若くまた講師としても未熟でしたので受講生と一緒に勉強しているという感じでした。次の平成9・10年の池袋総合本科時代は受講生の年齢層が比較的若くて、本試験の前には「上手くいっていない男女交際は禁止!」などと言っていました。その後の水道橋時代は総合本科と上級本科と長く担当したので、クラスもいつも100人以上の規模でしたが受講生の名前を全員覚えるということを目標にしていましたので、みんながテストを受けている間にメモ帳に特徴と名前を記して時々それを見ながら顔を思い浮かべて復習していました。講師としてはまだまだだったと思いますが平成11年・12年は1年目でも実力テストで満点をとったりする優秀な受講生が多く合格者も増えて行きました。高度経済成長期という感じでした。BBクラブを立ち上げてくれた個性豊かで行動力のあった平成13年組やスマートに優秀だった平成14年組、選択式1点で涙をのんだ翌年だったのと社労士ブームでクラスが膨れ上がり合格者が55人出た勢いのある平成15年組、15年組がどっと合格した後残った平成16年組はほのぼのと仲が良かった感じでした。平成17年組は比較的年齢層が高く、休憩時間にみんなで屈伸をしたりして、楽しそうに授業の後一緒に勉強していました。平成18年にTACが本校を水道橋から渋谷に移すことになり、事務所のある渋谷ではツマランと思い、八重洲校を希望して担当しました。18年八重洲組はエリートサラリーマンが多く元気なクラスでした。平成19年に渋谷本校で上級fastを立ち上げ水道橋・八重洲・渋谷とついてきてくれた受講生に感激し、絶対合格させねばと心に誓いました。18年と19年の八重洲とfastは兄弟学年と私が名付けて今も仲良しです。19年にどっと合格者が出た関係で平成20年組は新しいメンバーで比較的おとなしいクラスでしたけれど新鮮でした。そして最後のクラス・最後の受講生の平成21年組。
いつもいつも延長ばかりの講義で本当に申し訳なかったですが、毎年毎年本当に楽しい講師生活をありがとうございました。