真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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オペレーション・モッキンバードで歪められる現実

2024年05月06日 | 国際・政治
 1948年、話し合いに基づく合意なく、ヘルツルの呼びかけに応じてパレスチナの地に他国から移住してきたユダヤ人が、強引にイスラエルという国の建を宣言しました。だから、アラブ諸国は、パレスチナ人を支援するため立ち上がりました。それが、第一次中東戦争です。
 以後、アメリカを中心とする西側諸国は、イスラエルの武力行使や入植活動を黙認し、イスラエルの違法行為にも目をつぶってきたので、パレスチナ問題は、一掃深刻化することになってしまったと思います。
 「エクソダス号事件」後の違法移民の問題も、見逃されてしまったようですが、現在のイスラエルの領土には武力によって奪取されたものが少なくないのに、国際社会はきちんと対応してこなかったと思います。
 下記は、「イスラエルを知るための60章」立山良司編著(明石書店)から、「Ⅸ 中東和平問題とイスラエル」の「55章 宗教と政治の複雑な絡み」の一部を抜萃したものですが、イスラエルが、違法行為をくり返してきたことがわかると思います。 

 イスラエルとハマスの衝突が始まった去年10月以降、アメリカの多くの大学でイスラエルの軍事攻撃に対する抗議活動が活発化しているといいます。抗議行動で逮捕者が出た大学は、2234校で1,300人以上にぼるということです。
 (朝日新聞、5/4)は、バイデン大統領は、2日、「秩序が優先されるべきだ」と語り、破壊行為を批判した。 ホワイトハウスで演説し、「平和的な抗議行動は重要な問題に対応するための米国の最良の伝統だ」としながら「無法な国ではない。秩序が優先されなければならない」とした
 と伝えています。でも、ジョージア州エモリー大学の経済学教授が、ガザとの連帯と大量虐殺に反対する抗議行動中に、アメリカの警察に逮捕されるときの映像は、どう見ても破壊活動には見えません。


 また、大學の敷地内にテントを張って抗議を続ける学生たちに対し、大学側が、退去しなければ停学処分にすると通告したということですが、テントを張って抗議を続けることは、”平和的ではない”というのでしょうか。学生は、”大学側がイスラエルに関係する企業から支援を受けないとする要求を拒んでいる”と主張しているようですが、その主張は無視していいのでしょうか。学生に平和的にそれを阻止する方法があるでしょうか。
 ロシアや中国で、同じような抗議活動があれば、西側諸国は間違いなく民主主義の破壊だ、とか、権力の乱用だ、とか言って大騒ぎするのではないでしょうか。
 全米各地の大学で続く抗議デモは、大学に、人命や人権を無視したジェノサイドを続けるイスラエルとの経済的関係を断つよう求めているのに、西側のメディアは、特に日本のメディアは、そのことはほとんど問題にしていません。 
 連邦議会では、イスラエルを擁護する立場から「大学の安全確保」を名目にデモを解散させるよう求める声が出ているという報道もあります。だから、警察が強制的にデモを解散させた大学もあるようですが、アメリカには平和的な抗議行動も許さないという動きがある、ということではないかと思います。でも、西側メディアの多くは、そうしたことには深入りしないのだと思います。
 
 だから私は、イラン政府報道官、ジャフロミー氏が、「アメリカ は善悪を逆さに見せることにおいて先端を走っている」と語ったことを思い出すのです。
 そして、そうした情報操作が、「オペレーション・モッキンバード」(Operation Mockingbird)と呼ばれ、第2次世界大戦が終わって間もない頃から、日常的に行われているプロジェクトだということを最近知りました。
 日本のメディアも、アメリカの下請けで、「オペレーション・モッキンバード」に取り組んでいるのだろうと想像しています。 
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                    Ⅸ 中東和平問題とイスラエル

 

                   第55章 宗教と政治の複雑な絡みあい

 

 1948年のイスラエルによる独立宣言直後から始まった第一次中東戦争の際、エルサレムをめぐって激しい攻防戦が繰り広げられた。イスラエルはエルサレム新市街地(西エルサレム)を確保したが、旧市街地を含む東エルサレムはトランス・ヨルダン(現ヨルダン)の手に落ち、町は東西に分断された。

 東エルサレムをイスラエルが手にしたのは、1967年の第三次中東戦争だった。東エルサレムの占領。(スラエル側は”解放”と呼ぶ)直後、イスラエルは拡大したエルサレム市全域にイスラエル法を適用する新法制定した。さらに1980年には、「基本法─エルサレム─イスラエルの首都」を制定し、「統一された完全なエルサレムはイスラエル国の首都である」と規定した。こうした法的措置を背景にスラエルは、東を含むエルサレム市全域は自分たちの永遠の首都であると主張し続けている。

 だが、1967年にイスラエルが進歩を成立させた直後、国連総会が「エルサレムの地位変更は無効である」と決議したように、国際社会はイスラエルによる東エルサレム併合を認めていない。国際社会から見れば、エルサレムはまだ法的に帰属が決まっていない地域であり、イスラエルの首都ではない。そのため日本を含む各国はエルサレム以外に大使館を置いている。

 それでもイスラエルの併合以来、エルサレムは大きく変わった。第一にイスラエルが活発な都市開発行い、旧市街地のユダヤ人地区を始め東エルサレムでユダヤ人入植地を次々に建設した。その結果、人口構成も景観も一変した。イスラエル政府などのデータによれば、2009年末現在のエルサレムの総人口77万人のうち、ユダヤ人は48万人で、このうち19万人が東エルサレムに住んでいる。他方、パレスチナ人は28万人で、そのほとんどは旧市街地を含む東エルサレムに居住している。

 東エルサレムには13ヶ所入植地があるが、外見はどれも普通の住宅地で、ヨルダン川西岸の入植地のように塀や鉄条網で囲まれ警備のイスラエル兵がいるわけではない。この十年ほどの間にこれら入植地を結ぶ新しい道路が次々に建設された。つい最近では北部の入植地から旧市街地の横を通り、西の郊外近くまでを結ぶ路面電車も完成し、エルサレムの交通事情は激変しつつある。

 第二の変化は、イスラエルが「テロリストの侵入を防ぐ」とそして、2002年以来、建設している「安全フェンス」(パレスチナ側の呼称は「分離壁」「隔離壁」)の影響だ。壁はエルサレム周辺のヨルダン川西岸にある入植地をエルサレム市域に取り込むかたちで建設されており、すでにかなりの部分が完成している。東エルサレムのパレスチナ人社会は歴史的にパレスチナ地域全体の政治や宗教、文化、経済などあらゆる面で中心の役割を果してきた。しかし、壁ができた結果、東エルサレムのパレスチナ人住民は西岸からほとんど切り離され、日常的な接触は非常に限定されている。その分、東エルサレムのパレスチナ人社会は中心としての地位を失いつつある。

 1990年代に始まったイスラエル・パレスチナ間の和平交渉で、エルサレム問題はパレスチナ難民問題と並び最も解決が難しいと言われてきた。イスラエルは東エルサレムを含むエルサレム全市をイスラエルの首都であると主張し、入植地や壁の建設など既成事実を積み重ねてきている。一方、パレスチナ側は東エルサレムを首都とするパレスチナ国家の樹立という立場を堅持しており、両者の公式な立場は完全に平行線をたどっている。

 それでも過去の和平交渉でエルサレム問題の解決策が協議されたことはある。その過程で生み出されてきた基本的な枠組みは、旧市街地内を含めユダヤ人居住地域はイスラエルの、パレスチナ人居住地域はパレスチナの主権下とし、それぞれ主権を行使するが、町を分断することなく、一つの都市としての性格や機能は維持するという構想だ。

 ただこれまでの交渉でも、「神殿の丘(ハラム・アッシャリフ)」や「嘆きの壁」など宗教上、

大変重要な場所の主権や統治をどうするかに関し、基本的な枠組みができていない。それどころか、近年、イスラエル・パレスチナ間の和平交渉は完全に行き詰まっている。

 一つの町を分断できない以上、共有するしかない。しかし、エルサレムは宗教と政治が余りにも複雑に絡み合い、共存ではなく対立のシンボルとなっている。その結果、誰もが問題解決のための適切な解を見出せないでいる。(立山良司)



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