真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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安倍晋三著「新しい国へ 美しい国へ 完成版」(文藝春秋)に対する異論 NO2

2020年02月28日 | 国際・政治

 さらに、「第二章 自立する国家」の”「A級戦犯」をめぐる誤解”と題された文章の中には、
「A級戦犯」についても誤解がある。「A級戦犯」とは、極東国際軍事裁判=東京裁判で、「平和に対する罪」という、戦争が終ったあとに造られた概念によって裁かれた人たちのことだ。国際法上、事後法によって裁いた裁判は無効だ、とする議論があるが、それはべつにして、指導的立場にあったからA級、と便宜的に呼んだだけのことで、罪の軽重とは関係がない。
 ・・・
 「A級戦犯」として起訴された28人のうち、松岡洋右らふたりが判決前に死亡し、大川周明が免訴になったので、判決を受けたのは25人である。このうち死刑判決を受けて刑死したのが東条英機ら7人で、ほか5人が受刑中に亡くなっている。
 ところが同じ「A級戦犯」 の判決を受けても、のちに赦免されて、国会議員になった人たちもいる。賀屋興宣さんや重光葵さんがそうだ。賀屋さんはのちに法務大臣、重光さんは、日本が国連に加盟したときの外務大臣で、勲一等を叙勲されている。
 日本はサンフランシスコ講和条約で極東国際軍事裁判を受諾しているのだから、首相が「A級戦犯」の祀られた靖国神社へ参拝するのは、条約違反だ、という批判がある。ではなぜ、国連の場で、重光外相は糾弾されなかったのか。なぜ、日本政府は勲一等を剥奪しなかったのか。
 それは国内法で、かれらを犯罪者とは扱わない、と国民の総意で決めたからである。1951年(昭和26年)、当時の法務総裁(法務大臣)は「国内法の適用において、これを犯罪者とあつかうことは、いかなる意味でも適当ではない」と答弁している。また、講和条約が発効した52年には、各国の了解もえたうえで、戦犯の赦免の国会決議もおこなっているので ある。「B・C級戦犯」といわれる方たちも同様である。ふつう禁錮三年より重い刑に処せられた人の恩給は停止されるが、戦犯は国内法でいう犯罪者ではないので、恩給権は消滅していない。また、戦傷病者戦没者遺族等援護法にもとづいて遺族年金も支払われている。”
と書かれています。「A級戦犯」を犯罪者とは認めない一方的な解釈や考え方だと思います。 
 安倍首相は”事後法によって裁いた裁判は無効だ”という考え方を”べつにしても”と言いながら、べつにすることなく、その考え方に立脚して論じているように思います。
 確かに、極東国際軍事裁判にはいろいろな問題があるとは思います。また、それまで使われたことのない「平和ニ対スル罪」とか「人道ニ対スル罪」という言葉が使われました。でも「極東国際軍事裁判所条例第5条」(下記資料)に書かれているそれらの内容は、”戦争が終ったあとに新しく造られた概念”だとは思えませんし、極東国際軍事裁判におけるキーナン首席検事も、”裁判の準拠法は文明国間に長年にわたっておこなわれた慣習法である”と言っています。言葉は新しいですが、それまでなかったまったく新しい概念で裁いたのではないということです。
 だから、当時の世界各国の法に基づいても、当時の国際法に基づいても、日本の戦争責任者は無罪ではあり得ないのではないかと思います。
平和ニ対スル罪」とか「人道ニ対スル罪」という言葉では有罪にできないという主張を受け入れれば、それらの言葉の説明であげられている個々の罪で有罪の判決が下ることになるのではないかと思います。重大な国際法違反の戦争犯罪がくり返されたことを考えれば、無罪ではありえないと、私は思うのです。
資料ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
極東国際軍事裁判所条例第5条
(イ)平和ニ対スル罪
即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。
(ロ)通例ノ戦争犯罪
即チ、戦争ノ法規又ハ慣例ノ違反。
(ハ)人道ニ対スル罪
即チ、戦前又ハ戦時中為サレタル殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、其ノ他ノ非人道的行為、若ハ犯行地ノ国内法違反タルト否トヲ問ハズ、本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪ノ遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為。
上記犯罪ノ何レカヲ犯サントスル共通ノ計画又ハ共同謀議ノ立案又ハ実行ニ参加セル指導者、組織者、教唆者及ビ共犯者ハ、斯カル計画ノ遂行上為サレタル一切ノ行為ニ付、其ノ何人ニ依リテ為サレタルトヲ問ハズ、責任ヲ有ス
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 また、靖国神社公式参拝をめぐって、”ではなぜ 、国連の場で、重光外相は糾弾されなかったのか”とか、”なぜ、日本政府は勲一等を剥奪しなかったのか”などと言うのも、受け入れ難いです。それは、首相の靖国神社公式参拝を正当化する理由にはならないと思います。国連で、重光外相が糾弾されなかったのは、国際社会が、日本の戦犯が無実であり犯罪人ではなかったと判断したからではないと思います。重光外相は禁固7年の判決をうけ、4年以上服役した後、減刑されて刑の執行を終えているのです。その重光外相を他国が糾弾することは、内政干渉になるのではないでしょうか。
 また、刑の執行を終えた重光外相の有罪判決が取り消されたわけではないことを、無視してはならないと思います。

 さらに、当時の戦争指導層の影響下にある日本政府が、勲一等を剥奪するわけはないと思います。
 叙勲は、戦後の日本で、極東国際軍事裁判の判決内容を受け入れず、日本の戦争を侵略戦争と認めない、かつての戦争指導層が、アメリカの対日政策転換による「公職追放解除」で、要職に復帰した結果ではないかと思うのです。「公職追放解除」がなければ、重光外相にたいする叙勲もなかったのではないかと思います。まして、戦時中の軍人の階級によって金額の異なる軍人恩給が支給されている日本で、重光外相の勲一等が剥奪されることは考えられません。

 日本敗戦の翌月、アメリカはポツダム宣言第六項を受けて、「降伏後ニ於ケル米国ノ初期ノ対日方針」なるものを発表しますが、その中に
軍国主義者ノ権力ト軍国主義ノ影響力ハ日本国ノ政治生活,経済生活及社会生活ヨリ一掃セラルベシ軍国主義及侵略ノ精神ヲ表示スル制度ハ強力ニ抑圧セラルベシ”とか、”軍国主義及好戦的国家主義ノ積極的推進者タリシ者ハ公職及公的又ハ重要ナル私的責任アル如何ナル地位ヨリモ排除セラルベシ
 とあります。いわゆる戦争指導層の公職追放を規定したのです。そして、敗戦の翌年、連合国最高司令官覚書「公務従事に適しない者の公職からの除去に関する件」により、「公職に適せざる者」を追放するのですが、戦後の米ソ対立の激化や朝鮮戦争、また日本の労働運動の高まりなどに影響されて、それまでの「日本の民主化・非軍事化」の対日政策が、「逆コース」と呼ばれる反共産主義路線に政策転換され、公職追放が解除されるなどしたため、多くの戦争指導層が要職に復帰し、日本の戦前回帰の動きが活発化したことを、私は見逃すことができません。 

 戦犯について、「国内法の適用において、これを犯罪者とあつかうことは、いかなる意味でも適当ではない」と答弁した、木村篤太郎法務総裁(法務大臣)自身が、かつて公職追放された人であることも見逃せません。”講和条約が発効した52年には、各国の了解もえたうえで、戦犯の赦免の国会決議もおこなっているのである。”ということも、戦争犯罪の事実がなかったことを意味するものではなく、したがって、戦犯が無実であることを意味するものでもないと思います。

 特にA級戦犯については、減刑された人はいるようですが、赦免され人はいないと聞いています。それを”各国の了解もえたうえで”と、あたかも、国際社会が戦犯の有罪判決を取り消したかのような言い方をしていることには違和感を感じます。特に、国際社会が、処刑され、靖国神社に合祀されている「A級戦犯」を「戦争犯罪人ではない」と認めたことはないと思います。
 だから、”戦犯は国内法でいう犯罪者ではないので、恩給権は消滅していない”という主張にもごまかしがあるように思います。
 大日本帝国憲法下で作られた恩給法、特にGHQによって廃止された軍人恩給を、日本国憲法公布後の日本に復活させたのは、どういう考えの、どういう人たちなのかを踏まえてほしいと思います。
 また、一貫して軍人恩給権の復活に反対する人たちが存在したことや、今なお戦後補償の問題として議論されていることが無視されてはならないと思います。
 どういう人たちがどういう、考えで軍人恩給を復活させたのかということを無視して、”戦犯は国内法でいう犯罪者ではないので、恩給権は消滅していない”などと言うことは、私には受け入れ難いのです。

 ”それは国内法で、かれらを犯罪者とは扱わない、と国民の総意で決めたからである。”と言う言い方にも、ひっかかります。
 この”国民の総意”という言葉が、どういう意味でつかわれているかよく分かりませんが、たとえ、当時の日本国民のすべてが、”かれらを犯罪者とは扱わない”ということに同意したとしても、それは、戦争犯罪がなかったということにはならないと思いますし、戦犯が無実で、犯罪者ではないということにもならないと思います。
 なぜなら、長い間、大日本帝国憲法や教育勅語に基づく皇国臣民としての軍国主義教育を受け、軍国美談を聞かされ、鬼畜米英の精神をたたき込まれた日本国民が、敗戦と同時に国民主権や基本的人権や平和主義を基調とする日本国憲法の精神に基づく判断をすることは難しいと思うからです。法が変わっても、日本人の意識や慣習は、そんなにすぐに変わるものではないと思うのです。

 また、それ以上に大事なことは、当時の大部分の日本国民は、戦地における戦争犯罪の実態をほとんど知らされていなかったし、理解もしていなかったと思うからです。
 日本軍が、敗戦前後に、あらゆる場所にある戦争犯罪に関わる膨大な文書を焼却処分したことはよく知られています。また、舞鶴港に最後の引き揚げ船が入港したのは、1958(昭和33年9月)だということですが、戦地から引き揚げてきた人たちや従軍兵士、その他の証言や手記をもとに、歴史家や研究者が、残されたわずかな資料をかき集め、日本の戦争の実態を研究し、明らかにするのにも長い年月を必要としたのではないかと思います。
 例えば、細菌戦に使用する生物兵器の研究開発や実戦使用、また、残酷な人体実験をくり返したことで知られる731部隊に関する研究書やノンフィクション作品、小説などが出てきたのは1970年代後半からだと思います。広く日本国民に知られることになったきっかけは、森村誠一氏の『悪魔の飽食』ではないかと思いますが、それが、『しんぶん赤旗』日刊紙版に連載されはじめたのは、1981年(昭和56年)からだといいます。
 また、くり返し国連人権委員会から適切な対応を勧告されているいわゆる「従軍慰安婦」の問題が広く知られるようになったのは、金学順(キム・ハクスン)さんが日本軍”慰安婦”であったことを名乗り出た1991年以降のことです。
 「南京大虐殺」に関する論争や研究がさかんになり、広く知られるようになったのも、本多勝一氏の『中国の旅』が、朝日新聞に連載されはじめた1971年以降ではないかと思います。また、「南京大虐殺」をきっかけに、日本軍による国際法違反の捕虜の虐待や虐殺の事実が次々に明らかにされていったように思います。
 一般国民が、そうした日本軍の国際法に反する数々の戦争犯罪を知っていれば、”戦犯は国内法でいう犯罪者ではない”という考え方を支持することはなかったと思います。
 だから、当時の”国民の総意”には問題があるのです。
 にもかかわらず、いろいろな戦争犯罪が明らかにされている今、”それは国内法で、かれらを犯罪者とは扱わない、と国民の総意で決めたからである。”などと強調して、戦犯を擁護することは、歴史の否定であり間違いだと、私は思います。

 さらに、”国民の総意”という言葉で、問題の本質を覆い隠すのはいかがなものかと思います。何度か取り上げているのですが、特にそうしたことを根拠とする軍人恩給の復活には重大な問題があり、大事なことだと思うので、再確認したいと思います。
 軍人恩給は、太平洋戦争の終結に際して、ポツダム宣言の執行のために日本において占領政策を実施した連合国軍最高司令官総司令部が、”この制度こそは世襲軍人階級の永続を計る一手段であり、その世襲軍人階級は日本の侵略政策の大きな源となったのである”と指摘し、”惨憺たる窮境をもたらした最大の責任者たる軍国主義者が…極めて特権的な取扱いを受けるが如き制度は廃止されなければならない”として、廃止させたものであることを忘れてはならないと思います。
 ”惨憺たる窮境をもたらした軍国主義者”を”かれらを犯罪者とは扱わない、と国民の総意で決めたからである”ということを根拠に、復活させた軍人恩給を認めることは、ポツダム宣言の考え方や、日本国憲法の考え方に反する、日本の戦争指導層の人たちの戦前・戦中の考え方であると思います。

 『「戦争の記憶」その隠蔽の構造』田中伸尚(緑風出版)には
軍人恩給の復活には、日本遺族厚生連盟も組織を上げて運動した。軍人恩給は「天皇の軍隊」の軍人の階級に基づき、勤続による年金制を採り、生きても死んでも生活を保障するという「約束」によって民衆を戦争へと動員するシステムとして機能した。したがって、軍人恩給の復活は、旧体制下の「天皇の軍隊」の「約束」を実行することであった。
 とあります。重要な指摘だと思います。

 日本政府の戦後補償と援護行政をふり返ると、旧軍人・軍属(戦争加害者)およびその遺族を厚遇し続けてきたことが分かります。例えば、原告が外国人籍の69の戦後補償請求裁判や日本の民間人戦争被害者補償請求裁判の判決は大部分「棄却」されていますが、講和条約締結後の国会では、戦傷病者戦没者遺族等援護法や恩給法改正法(軍人恩給の復活)をはじめ、旧軍人・軍属・戦没者遺族に対する経済的援護法案が、次々に承認されました。その結果、アジアを中心とする多くの戦争被害者や日本の民間人戦争被害者を置き去りにしたまま、戦争加害者ともいうべき旧軍人・軍属とその遺族に、いたれりつくせりの手厚い援護が続けられてきたということです。
 日本の戦争犠牲者の補償・援護制度は、ドイツとは異なり、旧軍人・軍属・戦没者遺族を優遇する恩給法と戦傷病者戦没者遺族等援護法、を中心とするものになってしまったため、多くの戦争犠牲者が補償・援護から漏れるを結果になったといわれています。
 軍人恩給復活にあたって、日本遺族厚生連盟などが組織を上げて運動したこと、また元大本営や参謀本部の高官、政府内の要人、軍国主義団体の指導者など、いわゆるかつての戦争指導層が強い影響力を発揮したことを見落としてはならないと思います。
 また反対に、”軍人・軍属以外の多くの人も戦争被害を受けた第二次世界大戦の総力戦としての実態と,日本国憲法の平和主義と国民平等の観点に立脚して,新たな補償・援護の制度を立ち上げるべきだ”とする考え方が、当時の議会や新聞紙上、公聴会などで示され、今なお存在することなども見落としてはならないと思います。
 戦後復活した軍人恩給は、まさに”大日本帝国憲法下の「天皇の軍隊」の「約束」”を、当時の考え方で実行するもので、ポツダム宣言が指摘した”惨憺たる窮境をもたらした軍国主義者”を擁護するものであり、日本国憲法の考え方に反するものだと思います。
 なぜ日本国憲法公布後に、民間戦争被害者には何の補償もなく、大将には 8,334,600円の軍人恩給が支給され、兵には 1,457,600円が支給されるのか、また、大将と兵のこの金額の差の根拠は何なのか、と疑問に思います。いまだ大日本帝国憲法下の法が生きているということではないかと思います。
 だから復活した軍人恩給は、空襲被害者をはじめとする民間の戦争被害者や赤紙で召集された国民の思いはもちろん、日本国憲法にも反するもので、再度廃止が検討されてもよいのではないかと思います。
 東條内閣の商工大臣であった岸信介氏を祖父に持つ安倍首相は、”惨憺たる窮境をもたらした軍国主義者”に逆らえず、批判ができず、そのまま引き継いでいるのでしょうか。日本国憲法の精神を体現する首相になってほしいと思います。


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