幸せを実感する場合を、自分で思い浮かべると、結構些細なことにあります。自分のこだわりが何で、何もかも捨て去ったあとに残されるものは何か考えてみると、少し自分なりの幸せが見えてきます。それにはおそらく他人と比較する座標軸ではなく、自分の座標軸を持つことが大切なのではないかと思っています。百姓をするようになって、毎朝、朝陽を浴びています。朝陽は植物を抑制します。夕陽は徒長させるといいますが、朝陽を浴びているとなんとも気持ちか落ち着き、細胞がぞくぞくしてくる自分に気づきます。以前は朝陽なんかは見たこともなかったのですが・・・。無農薬・無化学肥料で栽培された玄米を食べると、一粒一粒が生きている感じが伝わってきたりします。そんなことは会社員であった時には感じたこともなかったのですが・・・。
何に幸せを感じるかはそれはおそらく個人個人で異なるのでしょう。個人の価値観でいいと思います。大切なことは、そういうことを感じられることに感謝することだと思います。
感謝すること、感謝する中にまた、幸せが潜んでいるのではないでしょうか。
何に幸せを感じるかはそれはおそらく個人個人で異なるのでしょう。個人の価値観でいいと思います。大切なことは、そういうことを感じられることに感謝することだと思います。
感謝すること、感謝する中にまた、幸せが潜んでいるのではないでしょうか。