一昨日、昨日と世界的に有名な映画監督が亡くなった。
ブログ上ではあるが、お悔やみを申し上げたい。
一昨日亡くなったのは、イングマール・ベルイマン。彼は世界に誇るスウェーデン映画界の巨匠である。1945年に『危機』で映画監督としてデビュー。『インド行きの船』(1947年)がカンヌ国際映画祭に出品され、スウェーデン以外でもその存在をアピール。『夏の夜は三たび微笑む』(1956年)でカンヌ国際映画祭詩的ユーモア賞を受賞。それに続く『第七の封印』(1956年)、『野いちご』(1957年)、『処女の泉』(1959年)が各国の主要映画祭で受賞し、国際的に評価されるようになる。その後も<神の沈黙> 三部作と呼ばれる『鏡の中にある如く』『冬の光』『沈黙』を発表し、その名声は世界的に確立される。あのゴダールが「誰よりもオリジナリティがある映画作家」と絶賛し、あのウディ・アレンが最も影響を受けたという。そんな彼は、誰にも真似出来ない研ぎ澄まされた感性を持ち、神と悪魔、人間の心の奥底を深く凝視し続けた孤高の映画監督といえる。
昨日亡くなったのは、ミケランジェロ・アントニオーニ。イタリアが誇る世界的に有名な映画監督で、生存する“最後の巨匠”とも呼ばれていた。1960年代から70年代にかけて「赤い砂漠」「情事」、ロンドンを舞台にした「欲望」、米国ロケの「砂丘」など愛と存在の不条理をテーマに斬新な映像表現と音楽の使い方で、フェリーニやヴィステコンティと並んで海外でも高い評価を得え、ロシアの映画監督タルコフスキーが、いろいろな面でかなりの影響を受けているというのも有名な話。
こういう20世紀の巨匠達が次々に他界されると大変淋しくなる。一方、最近の日本映画界は、様々な作品が様々な形態で上映されるようになり、少し光が射してきたような気がする。
上映の方法にも選択肢が増えたが、実際、映画を製作するにはたくさんの費用が必要になる。そのために、ファンドをつくり資金回収をする方法やあの新藤兼人監督(もう95歳なのですぞッ!)のように自ら出演し話題性を持たせる手法等、決して一部の映画人だけが大きな負担感を持った映画づくりではなく、21世紀の映画づくりはいろいろな方々を巻き込んだ中で進めていくことで、映画人の独りよがりをなくし、映画本来の質を向上を図り、それが決して万人受けを狙うのではなく、決して商業ベースでないとするなら、大きな未来へ架け橋になり、日本文化の中で映画の地位は不滅のものとなることだろう。
ブログ上ではあるが、お悔やみを申し上げたい。
一昨日亡くなったのは、イングマール・ベルイマン。彼は世界に誇るスウェーデン映画界の巨匠である。1945年に『危機』で映画監督としてデビュー。『インド行きの船』(1947年)がカンヌ国際映画祭に出品され、スウェーデン以外でもその存在をアピール。『夏の夜は三たび微笑む』(1956年)でカンヌ国際映画祭詩的ユーモア賞を受賞。それに続く『第七の封印』(1956年)、『野いちご』(1957年)、『処女の泉』(1959年)が各国の主要映画祭で受賞し、国際的に評価されるようになる。その後も<神の沈黙> 三部作と呼ばれる『鏡の中にある如く』『冬の光』『沈黙』を発表し、その名声は世界的に確立される。あのゴダールが「誰よりもオリジナリティがある映画作家」と絶賛し、あのウディ・アレンが最も影響を受けたという。そんな彼は、誰にも真似出来ない研ぎ澄まされた感性を持ち、神と悪魔、人間の心の奥底を深く凝視し続けた孤高の映画監督といえる。
昨日亡くなったのは、ミケランジェロ・アントニオーニ。イタリアが誇る世界的に有名な映画監督で、生存する“最後の巨匠”とも呼ばれていた。1960年代から70年代にかけて「赤い砂漠」「情事」、ロンドンを舞台にした「欲望」、米国ロケの「砂丘」など愛と存在の不条理をテーマに斬新な映像表現と音楽の使い方で、フェリーニやヴィステコンティと並んで海外でも高い評価を得え、ロシアの映画監督タルコフスキーが、いろいろな面でかなりの影響を受けているというのも有名な話。
こういう20世紀の巨匠達が次々に他界されると大変淋しくなる。一方、最近の日本映画界は、様々な作品が様々な形態で上映されるようになり、少し光が射してきたような気がする。
上映の方法にも選択肢が増えたが、実際、映画を製作するにはたくさんの費用が必要になる。そのために、ファンドをつくり資金回収をする方法やあの新藤兼人監督(もう95歳なのですぞッ!)のように自ら出演し話題性を持たせる手法等、決して一部の映画人だけが大きな負担感を持った映画づくりではなく、21世紀の映画づくりはいろいろな方々を巻き込んだ中で進めていくことで、映画人の独りよがりをなくし、映画本来の質を向上を図り、それが決して万人受けを狙うのではなく、決して商業ベースでないとするなら、大きな未来へ架け橋になり、日本文化の中で映画の地位は不滅のものとなることだろう。