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中川一郎はこうして死を選んだ

                    鈴木宗男独白

27年前、自ら命を絶った中川一郎先生については、自殺の原因はもとより、他殺説も含め、諸説飛び交ってきた。

秘書として仕えその後、議員として活動して来ましたが残念ながら異議申し立ては認められず、私、鈴木宗男は近く収監されます。
実際に収監期間は長くても1年5ヶ月程度になる見通しです。

しかし公職選挙法の規定により、公民権が停止されるため、刑の執行を終えても向こう5年間は選挙に立候補できず、政治の表舞台に立つ事は出来ません。

27年間にわたり、ずっと胸裡に秘めてきた私だけが知るある真実を、議員バッジを外した事を機に国民の皆様の前に公表したいと思います。

1983年1月9日早朝、投宿先の『札幌パークホテル』10回の部屋で浴衣姿のまま浴衣の帯で首をつった中川一郎先生を発見したのは、同宿していた貞子夫人でした。

当時、中川先生は自らの派閥を旗揚げし、ニューリーダーの一人として,注目を集め、2ヶ月前の自民党総裁予備選にも出ていました。そんな大物政治家の突然の自殺に、永田町やマスコミは騒然となったのです。

当初は心筋梗塞と発表された死因が、2日後には実は自殺だったと明らかになったこともあり、総裁選での巨額の借金やソ連からの献金、果ては田中角栄による謀殺説などなど、様々な憶測を呼んだものだでした。

                        ★
昭和51年(1976)夏、事務所に一本の電話がかかってきました。

「中川先生に、全日空からの資金提供について、お話を聞きたい」というのが電話の趣旨でした。私は一瞬ぎくりとしました。

この年の2月に明るみに出た『ロッキード事件』は、政界を震撼させ、7月27日には、田中角栄先生が逮捕されるという、異常事態を迎えていたからです。

ロッキード事件については今更説明の必要もあるまいが、その戦後最大の疑獄事件にからんで、実は中川一郎先生も、東京地検特捜部の事情聴取を密かに受けていたのです。

その事実は決して外へ漏れては居なかったが、逆にだからこそ中川の心中で大きな負担となり、現実にその負い目によって、政治的に追い詰められ、最終的に死を選ぶ結果になったのです。

                    100万円の裏金

私は、中川一郎先生の扱いが容疑者ではなく、あくまでも参考人であることを特捜部に確認し、事情聴取にも同席しました。ロッキード事件では米ロッキード社が、田中角栄、など政界の大物に巨額の賄賂を注ぎこんだルートと、

全日空から“運輸族”議員や“官僚”にばら撒かれた“全日空ルート”があった。中川はこの全日空ルートの捜査の一環で事情聴取を受けていた。

実際中川一郎先生は全日空から表の献金とは別に、裏で100万円の裏金を受け取っていたのです。

その年運輸委員長になっていた中川一郎先生は紛れもなく、運輸族議員でした。・・・二へ
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