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2月9日・「迷えば凡夫」

2月9日

「迷えば凡夫」

江戸中期の石門心学者に手島堵庵(てしま・とあん=天明6年{1786}2月9日没)がいる。京都の商家に生まれた堵庵は、18歳のときに石田梅岩(いしだ・ばいがん)について心学の修業をはじめ、20歳で開悟した。彼は梅岩没後の心学教化運動の中心人物であった。

 その堵庵の教えは―私案なしの説―と呼ばれている。

「私案なし」というのは、われわれは何かをしようと思ったら、あれこれじくじく考えずに、さっさと行動に移せということである。

 たとえば、友人が病気だと聞く。そのとき、あなたは、

『それじゃあ、見舞いに行こう』と思った。そう思ったらさっさと見舞いに行くべきである。

 そうでないと必ずあれこれ「私案」が出てくる。

*病気といっても多分そんなに重くはあるまい。

*この前、俺が病気をした時、あいつは見舞に来てくれなかった。

*急ぎの仕事がある。これを片付けてからにしよう。

 そんな「私案」が出てくると見舞いなんかに行けっこないのである。

そこで堵庵は、「私案なし」を奨める。そう言われてみると、その通りだ。何事であれ、

“思い立ったが吉日”とさっさと重い腰を上げるようにした方がよい。

同じことを江戸時代の禅僧の鈴木正三(しょうさん)が言っている。

 ――何かをしようと思ったら、そのま思案せずにした方がよい。後で・・・と思うのは良くない。

また外出しようと思った時も同様だ。

気が向いたとき、そのままさっと出かけるべきだ。

後で・・・と考えるな。

 たとえ雨や雪であっても、面白い雪だ。

子供の時は雪遊びをしたなあ・・・・と思って出かけよ。

 全てこのように「私案なし」にしていると、心は想いの他軽くなるものだ。 

「迷えば凡夫、悟れば仏」-ということなのである。

 

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