日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
山口組との関係も雪解けへ
山口組との関係も雪解けへ
この間、2001(平成13)年には二率会解散による縄張り分割で、住吉会は稲川会と対立。抗争状態となり、住吉会最高幹部が斎場で射殺される事件が発生。その報復として前橋スナック乱射事件を引き起こすなど、住吉会の激しい戦闘性を知らしめた。
この戦闘性は近年、日本最大のヤクザ組織、山口組に向けられていく。
2003(平成15)年には住吉会、住吉一家親和会系と五代目山口組弘道会系との間に「北関東抗争」が勃発、7県にまたがり、抗争事件が続発し、死傷者7名を出す。
また2007(平成19)年には司忍六代目体制となった山口組との間にも戦火を交えた。同年2月には西麻布の住吉会住吉一家小林会系幹部が射殺されたことを契機に、「新東京戦争」が発生したのだ。後に射殺犯として、山口組五代目國粹会系幹部が逮捕され、抗争の背景には縄張り問題があったとされている。3日後に和解が成立するが、首都圏に厳戒態勢が敷かれるなど、都内に緊張が走った。
また同年3月には、住吉会住吉一家西海家系と山口組二代目宅見組系との間に。「仙台抗争」が勃発、死者こそ出なかったが、杜の都を震撼させたのだった。
さらに2008(平成20)年には住吉会住吉一家伊勢野会幹部が山口組二代目小西一家系関係者を刺殺したことを契機に「埼玉抗争」が発生している。
和解までの三日間で両組織で1名ずつ死者を出している。
その後両組織は再び埼玉で激突し、「第二次埼玉抗争」とも呼ぶべき事態へ発展したのだ。
この「第二次埼玉抗争」では数か月にわたって双方で和解に至らず、仲裁役の関東の組織と住吉会との間でも緊迫するなど、住吉会と山口組の対立が関東ヤクザ社会に暗い影を落としていた。
しかし、2011年4月の山口組・司忍六代目の出所を機に、両組織の関係は雪解けへと向かう。
同月に山口組最高幹部が住吉会の西口総裁のもとを訪問、これは住吉会の西口総裁が個人として出所祝いの品を届けたことへの返礼とみられたが、これを機に関係改善の動きが表面化。
同年5月には福田晴瞭会長が山口組総本部を訪れる。その翌日には、山口組最高幹部が住吉会本部を訪ね、住吉会最高幹部に歓待されたのだった。
そして冒頭の章でも記したように、関東二十日会の解散を機に新たに設置された親睦団体には、住吉会とともに山口組も参加している。初会合の出席者でもある関功新会長は、この新たな秩序樹立の瞬間に立ち会った者として、住吉会を山口組をも含めた他組織との平和共存へと突き動かしていくのではないだろうか。 終わり