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第3回の2  似鳥昭雄社長・ 死を覚悟の中でひらめいた家具屋開業

似鳥昭雄社長

第3回の2

死を覚悟の中で思った、家具屋開業

 「営業は無理だけど、雑用なら何でもできますから」と所長に泣きつくとなんと、復職のOKが出たのである。所長は花札でひどい目に遭わされたことをすっかり忘れているようだった。似鳥氏は朴訥としていて、どこか憎めないところがあるのだ。

 「原稿取り、集金、ステッカー貼り、社長やお客さんの送迎と、いろいろやりましたが、結局またクビになりました。全然進歩がないからやっぱりやめてくれと」

 何の当てもなく、街をうろうろしていたら、ばったり父の弟と会った。自分のところの土木会社で、働かないかという。叔父に誘われるまま、似鳥氏は旭川の現場に入り、水道本管工事に従事した。だがその仕事も半年足らずで終焉を迎えることになる。

 「12月雪が降る中で作業をしていたら、消防車のけたたましいサイレンの音がする。近くで何かあったのかと思ったら。燃えていたのは自分たちの現場のテントだった。ストーブの火が布団に燃え移り、全焼。工事は中止になり、再びプータローに戻ってしまった。

 実家に戻ったが気力が全く湧いて来ない。「営業もダメ、土木作業もダメ、あとは死ぬしかない」と投げやりになっていた。そんな時転機が訪れる。「友人と酒を飲んでいたら、これからは家具とかカーテンがいいんじゃないかという話になったんです。

確かに引揚者住宅には食料品関係や、金物屋、薬屋などあるのに、家具屋だけがない。これだと思いました。

 「家具屋をやると決めたもののどうすればいいのか見当が付かない。家具問屋へ勤めたことがあるという知り合いに頼んで問屋を回ったが、似鳥氏が23歳だと言うと、どの問屋も「サラリーマンをやっていた方がいい」と言うばかり。

「サラリーマンがだめで、商売を始めようとしているのに」と恨めしい気持ちの似鳥氏に救いの手を差し伸べたのは4軒目の問屋だった。そこの部長が『俺の指示通りにやるなら協力する』と言ってくれたのだ。 つづく

 

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