日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
2-2 堅気には柔和な一面
住吉会関新会長の極道信条
2-2
堅気には柔和な一面
そして05年4月福田会長が住吉一家七代目を継承した際に断行された新人事において関新会長は会長代行に就任した。この会長代行というのは新設されたポストであった。
同時に新設された本部長、そして従来からの理事長、幹事長、総本部長、を合わせた四役より、一段高い位置から執行部を見守り、
福田七代目を強力にサポートする役割を担ったのだ。
「和と団結」を信条として、これまで組織に貢献してきた経緯から関新会長を想定して設置された役職であったとも言われた。この間、98年には本拠地の千葉に限らず、東京、埼玉、茨城にまで及ぶ強大な勢力を有する共和六代目という名門を関新会長は継承している。
一家内では、若き日の関新会長が堀五代目の足跡を追いかけたように、関新会長の一挙手一投足に注目する有望な若い衆がひしめき合っているという。
関新会長をよく知る関係者からは
「質実剛健で裏表がない」
「柔軟性に富んでいて時代に即した考え方を持っている」
「人の痛みがわかり、他人には親身に接するが、自分には厳しい」
との評判が聞かれた。
一方で関新会長と接したことのある地元のカタギ衆はこう語るのだ。
「自分がまだ新入社員だった頃に、親分に出会ったことがあるんです。自分が仕事で右往左往していることを知ると『今は大変だろうが、続けていればいつか必ずいいことがあるから頑張れよ』と声をかけてくれたんです。その後も顔を合わすたびに励ましの言葉をかけてくれましたね。自分の周囲にも同じような経験をしたことがある人間が多く、本当にやさしい親分だと記憶しています」
ヤクザとカタギの分け隔てなく決して偉ぶることのない人間性、そして時に見せる厳しさも関新会長は
持ち合わせているという。
西口総裁、福田七代目はそうした器量を見抜き、今回の禅譲を決めたのだろう。
厳しい荒波の中にあるヤクザ社会で、関新会長がどんな舵取りで住吉会を牽引していくのか、今後も注目していきたい。・・・この項終わり。