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住吉会・関東進出を強める山口組との激闘史

住吉会・関東進出を強める山口組との激闘史

北関東抗争・新東京戦争・埼玉抗争・・・

(アサヒ芸能5・1特大号)

都会派として知られる住吉会。それは東京に本拠を置くからだけではなく組員らのスマートな立ち居振る舞いのためでもあろう。しかし、『縄張り』を死守するためなら、ヤクザとしての本領を発揮する。

近年では関東進出を強める山口組とたびたび激突するなど、その歴史は多くの『激闘』に彩られているのだ。

歴代会長

初代・・・伊東松五郎(1846年生まれ)

2代・・・倉持直吉

3代・・・阿部重作

4代・・・磧上義光

5代・・・堀 政夫

6代・・・西口茂男

7代・・・福田瞭晴

8代・・・関  功

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住吉会の中核を成す住吉一家は伊東松五郎親分を初代としている。伊東初代は1846年の生まれであるから、住吉会の伝統は1世紀を超えて受け継がれていることになる。

大正期に住吉一家は倉持直吉二代目に継がれる。その後約30年にわたって倉持親分が当代の座にあっ

たが、戦時下に跡目擁立もままならなかった。

 戦後1948(昭和23)年住吉一家は阿部重作が三代目を引き継ぐことになる。

 戦後の住吉一家を語るうえで欠かせないのが、

『銀座警察』だろう。弱体化した警察に代わり、

浦上信之親分の率いる浦上一派が銀座の飲食店や社交場の用心棒を務めたのだ。

 このように阿部三代目の元には終戦直後から、博打一辺倒ではない現代的ヤクザが育っていたのである。

 しかし1956(昭和31)年に住吉一家を揺るがす事件が起きる、『浅草妙清寺事件』である。住吉一家大日本興業系幹部の葬儀の席で銃撃戦が発生。これにより住吉一家の将来を担うはずだった向後平幹部と高橋輝男幹部が死亡したのだ。

 この事件を契機に阿部重作三代目は友諠団体との団結を図るべく。1958(昭和33)年に「港会」を結成する。現在の住吉会に所属する老舗一家が結集したのである。 続く

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