小さな庭

デジタルな仕事について20数年、だからという訳でもありませんが、アナログな世界に惹かれます。

東海道ウォーク 関宿~坂下~土山~水口~石部宿

2008-04-11 | 旧東海道歩き
東海道五十三次の街道歩きも終盤戦。今回始めて2泊して5つの宿場を歩きました。好天に恵まれ、鈴鹿峠あたりの桜は3分咲きでしたが、満開の桜に迎えられながら、なんとも贅沢な街道歩きとなりました。
2008年4月5日
午後の新幹線を名古屋で下り、JR関西本線に乗り換えて関駅に。前回関宿まで歩いているのでこの日は、夕方に現地入り。平日の夕方の関の街道は、人もまばらで静かな夕闇がせまっていました。
宿から見た満開の桜は、山も湖も、おぼろげな白さで包み込んでしまったようにみえました。


4月6日
いよいよ最後の難関、鈴鹿峠が迫っています。街道右手には、狩野元信が山の景観に惹かれて筆をとったが、あまりにも激しく変化する天候に筆が追いつけず、筆を投げ捨てたと言い伝えられている筆捨山が見えました。この日はくっきりとその名峰を写真に収めることが出来ました。


坂下宿は鈴鹿峠直下の山間の宿場で、現在も民家は少なく、まだ春休みの小学校の校庭には桜が満開に咲いていました。


坂下宿のはずれに片山神社があり、ここから鈴鹿峠への山道が始まります。道は深い森の中に入り、眼下には国道がヘアピンカーブを繰り返しながら高度を上げていくのがわかります。


さすがに鈴鹿峠あたりは、まだ早春の趣きがあり、峠を下った土山宿は梅がちょうどみごろでした。鈴鹿馬子唄に「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と歌われたように鈴鹿峠を境に天候が大きく変わったのでしょう。

水口宿へと続く街道は、鈴鹿山中から発した野洲川に沿って、その広い河原は春の陽光に白く光り、当時の旅人もこの景色に、鈴鹿峠を無事越えてどんなに安堵したことかと思われます。

2日目は水口宿まで、時刻はすでに夕方6時をまわっていました。

4月7日
水口は東海道50番目の宿場町であり、多くの旅籠があった様子が今もなお色濃く残っています。一方で徳川家光が将軍家の宿館として築いた水口城もありました。

このお城の近くで見た一本の桜は圧巻でした。


石部宿へと続く街道は、古い街並みが息づくと同時に、都市の近くであることを伺わせる新興住宅も目立ち、活気づいた街の印象を受けました。
途中川底が道路よりも高い天井川の下のトンネルを通りました。ただ、川は今、枯れているようでした。


さすが近江の国、どこの家の玄関にも信楽のタヌキが愛嬌のある姿で出迎えていました。



午後2時、石部駅に着いて、3日間のウォーキングの終着となりました。
コメント (4)
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