人が生きる世の中(サランサヌンセサン)
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ユン・ヒョンジュ&キム・セファン「フォークメドレー、貝殻をつないで」「Let's twi
韓国フォークをたどっていると、ますます「全国のど自慢」から遠ざかります。「のど自慢」ではフォークソングを歌う人がいません。「7080世代」がギターを弾いて出場してほしいです。
この画像は「開かれた音楽会」の”フォークメドレー”と”貝殻をつないで”です。
”フォークメドレー”1曲目はチェコスロバキアの歌、2曲目はハワイアンです。3曲目はアメリカのフォークグループ「ニュー・クリスティ・ミンストレルズ」が1963年に歌った”グリーン・グリーン”です。日本でもはやりましたね。それぞれ韓国語の歌詞をつけて歌われています。4曲目は”ユンヒョンジュの歌”貝殻をつないで”
「貝殻をつないで」
貝殻をつないで 彼女の首にかけ
焚き火の側で 夜通しささやきあう
遥か月の影 涼しい波の音
夏の夜は深まるばかり 眠れない
”レッツ・ツィスト・アゲイン”(1961年・全米8位)は、当時「キング・オブ・ツィスト」と呼ばれたチェビー・チェッカーのヒット曲です。
この画像は2008年の「コンサート7080」の画像です。”春の日差しのように温かな二人”として紹介されたユン・ヒョンジュとキム・セファン。
司会「二人の出会いは?」
キムセファン「学校内で知り合いました。5月になると学園祭があります。僕は学園祭に呼ばれて、ゲストとして歌を歌っていました。ユン先輩は医大生で、ツインフォリオもやっていましたし、そこで会いました」
司会「格が違いますね」
ユン・ヒョンジュ「当時はツインフォリオとして有名だったので、セファンはツインフォリオのようになりたかったそうです。あのように有名でテレビに出たかったんだそうです」
司会「長い間一緒なのでエピソードも多いでしょうね」
ユン・ヒョンジュ「セファンがテレビに出たいことを知っていました。僕は医大性で徹夜で勉強して朝は眠いんです。だから明け方4時ごろにいたずらの開始です。友達にセファンの家に電話させたんです。歌手たちがギャラのUPを求めるボイコットで出演しないので、君が来てくれと朝の4時20分ごろに電話して起こしたんです」
キム・セファン「明け方に起こされ、テレビに出られると思い、家族みんなを起こして大慌て。朝から歌うのは大変なので生卵を割って飲み、練習して放送局に行きました。でも名前がない。隣の放送局かと急いで行くともう終わる時間。そこにも名前がない」 (起こされたキム・セファン一家はまるで韓国ホームドラマのようですね)
ユンヒョンンジュ「その日に学校で会うと顔を真っ赤にして。誰であろうと殴ってやる、そんな感じでした。激怒していたので、5年間言えませんでした。」
エピソードいっぱいの二人ですが、音楽喫茶『セシボン』時代のソン・チャンシク、チョ・ヨンナムが加わると楽しい話はもっとたくさんありそうですね。
キム・セファンはポップスのヒット曲をよく歌っています。
キム・セファンのオリジナル曲。明るいですね。
「土曜の夜」
長い髪に短いスカート 美しい彼女に会ったら 何の話をしようか
おお土曜の夜に 土曜の夜 土曜の夜に 僕は君に会う
世界は最も頼もしい 彼に出会ったら 何の話をしましょうか
おお土曜の夜に 土曜の夜 土曜の夜に 僕は君に会うのさ
美しい歌声 遠くへと響いていくとき 希望に満ちた明日のため
おお歌を歌おう 土曜の夜 土曜の夜に 僕は君に会う
土曜の夜 土曜の夜に僕は君に会うのさ
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