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キム・ミンギ、ノ・ムヒョン、ノ・ムヒョン&ノ・チャサ ”常緑樹”

 
 
 
 今日5月23日は韓国元大統領ノ・ムヒョンの命日です。キム・ミンギ作詞作曲の”常緑樹”は、”朝露”とともに韓国の民主化運動を象徴する歌として人々に愛されています。ノ・ムヒョンの愛唱歌としても知られています。
 
 韓国のブログ「キム・ハクスンの書斎で」に”常緑樹”について詳しい記事が載っていました。
 
 1977年5月に軍から除隊したキム・ミンギは、富平の縫製工場に就職しました。倉庫業務を担当したキム・ミンギは、女工たちの厳しい労働環境と生活を目の当たりにします。工場で使われる簡単な英語でさえ読む事ができない女工たちのために、『朝学』(朝の勉強会)を始めました。女工たちはほとんど日々続く夜勤のため、「夜学」は不可能でした。それで思いついたのが『朝学』だったのです。
 その間キム・ミンギは一緒に生活した労働者たちの合同結婚式を取り持ち、祝歌を作詞作曲しました。友人のソン・チャンシクが作ってくれた歌も一緒に歌いました。
 それが多くの人々の心の琴線に触れて、勇気を奮い立たせた”常緑樹”です。
 ”常緑樹”はキム・ミンギが唯一目的を決めて書いた歌だといいます。その後この歌はヤン・ヒウンのアルバム7集に収録されました。しかし公式発売と同時に禁止曲になりました。
 ”常緑樹”は軍事独裁政権に抵抗した大学生たちの声で、労働者たちの声で、幾多の民衆の声で歌われながら青々と育ちました。
 ”常緑樹”は1987年の「6・10民主化抗争」の成果で禁止曲が解けました。
 1998年には韓国政府樹立50周年を記念して、IMF危機のために作ったテレビ広告で主題歌に使われました。2002年「3・1節記念式」の時は、ヤン・ヒウンによって祝い歌として歌われました。政府公式行事で大衆歌手が祝い歌を歌ったことは、初めての出来事でした。
 禁止曲、政府広報曲、公式祝い曲として燃え上がった”常緑樹”
 
   「常緑樹」
 
 荒野のあの青い松を見よ 誰に見守られるでもなく
 雨風吹雪が打ちつけようと この世の果てまで青く染める
 辛く苦しかったあの日々も 二度とは姿を現すなと
 汗を流そう 悟ろう 荒野の松となろう
*手にしたものは少なくとも 手に手をとって 涙を流せば
 我がいく道 遠く険しくとも 突き進み必ずや勝利する*
*~*
 
 
 
 
 

 

 
 2002年、ノ・ムヒョン大統領候補の象徴でもあった”常緑樹”。ノ・ムヒョンがギターを弾いて直接歌う選挙広報映像が大きな反響を呼び、大統領就任式で”常緑樹”はさらに多くの人々の胸を打ったのでした。この歌はノ・ムヒョンの心の中で、永遠の青さを保つ常緑樹のように位置していたのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 人間ノ・ムヒョンの魂が込められた”常緑樹”は、彼の逝去とともに国民の胸に深く根を下ろし、追慕最後の夜と、ソウル広場の葬祭の時に絶頂に達したのでした。”常緑樹”は寒い冬であればあるほど、もっともっと青々さを誇る樹であるように。
 
 この画像「ノ・ムヒョンのためのレクイエム」は、3周忌を記念して2012年9月に発売された追慕アルバムからです。
 ノ・ムヒョンの歌の後に、フォークグループ「ノチャサ」とチャン・ピルスンがドラマティックに歌い上げています。
 
 
 
 
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