人が生きる世の中(サランサヌンセサン)
毎日韓国ドラマと映画と音楽でヘンボケヨgooblog
韓国時代劇ドラマ「明成皇后」(KBS 2001~2002 124話)
19世紀半ばの東アジアのダイナミックな歴史をしっかりと把握できずに124話を一気に観て、ツタヤに返却してしまい残念です。歴史の資料として見ごたえがあり、もう一度じっくりと堪能したいドラマでした。
只今明成皇后の外伝のような時代劇ドラマ「風と雲と雨」(2020年)を視聴中で毎週楽しみにしています。
朝鮮王朝24代国王「憲宗」(1834~1849年)に子供がいないので王族から王を迎えます。25代国王に選ばれた「哲宗」(1849~1864年)も子供たちが夭折していて、26代国王をまた王族から選ぶことになります。
選ばれた26代国王「高宗」(1863~1907)の妃が主人公の明成皇后です
24代国王「憲宗」の時代からすでに権力は李氏国王から離れて安東金氏と豊穣趙氏の権力争いの時代です。王の権威は地に落ちていました。
有能な王族イ・ハウンは金氏の屈辱にも耐えて息子が王位に就いた暁には、権力トップの金氏を追い落とし、皇太后の趙氏権力も弱めてしまいます。
事実上イ・ハウンは息子「高宗」の父「興宣大院君」として権力を手にして、民は貧しく、腐敗政治の朝鮮王朝の立て直しに着手しました。時代は欧米列強が東アジアに派遣し植民地化を狙う怒涛の幕開けでした。
国王の妃は先代妃の閥から選ばれます。興宣大院君は趙氏候補を退けて、後ろ盾がない(邪魔な外戚がいない)閔氏のミン・ジャヨンを自ら選び、明成皇后を誕生させてしまいます。
明成皇后も卓越した頭脳と感性の持ち主です。即位した数年間は王が訪れることもなく寂しく過ごしじっと耐えていましたが、息子の誕生で興宣大院君と対峙することになりました。
耐え忍んできた経験は興宣大院君と明成皇后は同じ。鉄の芯を持つ同士ですが国政に関しては守旧派(鎖国派)と改革派(開国派)の大きな違いがあります。
舅と嫁の内戦が、熾烈な戦いが始まっていきます。
ドラマでは、大院君が清によって天津に幽閉、親日的な開化派の甲申政変、袁世凱率いる清軍、ロシアの南下政策、イギリス牽制、親ロ政策、東学党の乱、日清戦争での戦場、日本人の井上馨、伊藤博文も描かれ、
小さな国朝鮮に西欧、ロシア、清、日本が関わり歴史は否応なしに動いてしまうのでした。
興宣大院君を演じたユン・ドングンと明成皇后を演じたイ・ミヨンの心理戦は見ごたえがありました。
ウイキペディアとドラマを比較すると明成皇后を「悪女」と「国を守った烈士」大きな違いがありました。
明成皇后を暗殺したのは日本人なので日本人を悪く描いているとの批判もありますが、私は歴史は真実のみあると思っています。
« ヘンリー・マ... | 韓国時代劇「... » |