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1965年のポップス ⑮ スプートニクス 「霧のカレリア」 フィーネーズ 「哀愁のカレリア」

 

 スプートニクス(Spotniks) の”霧のカレリア(Karelia)”です。スプートニクスはスウェーデンのエレキ・インストゥメンタル・バンドで、1957年に結成され、別名で活動していましたが、1961年にソ連が打ち上げた人工衛星にちなんで、スプートニクスと改名。1965年から1966年にかけて日本で”霧のカレリア”が大ヒットしました。

 文化放送「9500万人のポピュラー・リクエスト」では1965年10月21日に20位で初登場、12月16日、23日、30日に1位、1966年2月24日に20位までランクされました。TBS「今週のベスト10」では1965年10月3日に18位で初登場、11月21日、28日には最高位4位、1966年1月23日に20位までランクされました。「洋楽ヒット・チャート大事典」(八木誠著)では1965年年間チャート18位、1966年年間チャート85位に選ばれています。

 

 

 

 ”霧のカレリア”はフィンランドのグループ、フィーネーズ盤(タイトルは”哀愁のカレリア”)との共作で話題を呼びましたが、スプートニクスのリーダーだったボー・ウィンバーグが多重録音で別会社に吹き込んだ作品だったことが後になって分かりました。

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