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15 Best Kosakin Songs

2020-06-23 18:47:27 | メディア・芸能
資本主義はわれわれ一人一人にねだんを付ける。それは「時価」みたいに日々変動する。世間からみた評価よりも自己評価が高い者は借金を負わされ日々返済に追われているようなものでたいへん生きづらい。

会社の20年間、私の考える日本語はそこでは通じなかった。終始孤独であった。会社員2年目の1984年夏に、土曜の所ジョージさんのラジオを聞きながら寝てしまい、ふと目覚めると「わたしリカよ!」という前置きに続いてリカちゃん人形が奇想天外なことをしゃべっており、どうやらそういう設定の投稿コーナーであるらしい、投稿を読んでいるのは小堺一機さんで関根勤さんも一緒にやっているコサキンという番組。一発で魅了された私はそれから末期の長期入院時を除き会社員時代はずっとコサキンを心の友としていたのである。




Herb Alpert and the Tijuana Brass / Tijuana Taxi (1965 - Going Places!!)
コサキンは正式番組名や時間帯がよく変る。この曲は月~土の日替わり番組であった欽グルスショーの土曜日担当であった時代と、深夜ゴールデン水25~27時のほか土曜にコサキン増刊号がOAされていた頃の増刊号のOPテーマ。ずっと後にコサキンDEワァオ として最終回を迎えるときも私が聞き始めたときと同じ土曜24~25時に戻っていた。



藤島桓夫 / 若い元気なお相撲さん (1960 - Single)



喜美正二郎 / すずらん通り (1982 - Single)



大場久美子 / エトセトラ (1978 - Single)
『木藤たかおのオールナイトニッポン電話リクエスト』番組内コーナーを「クーミン」として務めた大場久美子さんの特徴あるしゃべり方を巧みに真似て珍妙な受け答えをする女性リスナーがコサキンのクーミン。ほか広川太一郎さんご本人も唸らせたモノマネの本業イラストレーター・もりいくすおさん、宅録の自作コサキンソングを投稿した男子など異能のリスナーが多数。ロンハー・アメトークの加地Pも投稿していたそうだ。



Screamin' Jay Hawkins / I Put a Spell on You (1956 - Voodoo Jive: The Best of Screamin' Jay Hawkins)



BARBEE BOYS / なんだったんだ? 7DAYS (1986 - 蜂 -BARBEE BOYS Complete Single Collection-)
1986~91年のコサキン無理矢理100%時代が全盛といえよう。男のオタク色が強い番組で女性ゲストが来ても沢口靖子さんなどは途中でぴあを読み始めてしまったり馴染めなかったがバービーボーイズの杏子さんとBABEの2人はたびたび招かれハマっていた。



小堺一機 / マージナル (1989 - 20 FAVORITE SONGS)



布施明 / ときめき (1969 - Single)



森田公一とトップギャラン / 人間はひとりの方がいい (1976 - 人間はひとりの方がいい)
構成作家が書いてコサキンが演じる「コサキンコント劇場」は目玉の一つ。作家陣のうち有川周一氏がカンコンキンシアターに出演していた女優と結婚、突然ブチギレる妻に振り回される有川氏の家庭生活を描いた「俺の愛妻物語」がシリーズ化。第2シリーズのテーマ曲。



杉良太郎 / 君は人のために死ねるか (1980 - 男 宇宙)



海道はじめとスナッキー・ガールズ / スナッキーで踊ろう (1968 - 幻の名盤解放歌集*日本コロムビア編 スナッキーで踊ろう)
マリア四郎 / もだえ (1968 - 幻の名盤解放歌集*日本コロムビア編 スナッキーで踊ろう)
92~94年のコサキン快傑アドレナリン時代には初期のコサキンソングに加え当時リリースされた幻の名盤解放歌集からの曲がいくつも紹介され「もだえ」の♪ウソでーもいいーかーらという部分を小堺さんが憑かれたように絶叫するなど音楽ネタで盛り上がった。「ウソでもいいから愛されたい」という歌詞は観念に縛られて資本主義の兵隊に仕立てられる様相をよく表していますね。ヘッダー画像の中央はキャイ~ンとコスモスが加わった当時のコサキン本より。



風間ひろしとメロディー・クイーン / 君が欲しい (1976 - 幻の名盤解放歌集*ポニーキャニオン編 男が死んで行く時に)



水木一郎, コロムビアゆりかご会 / ぼくらのバロム・1 (1972 - Single)



ハナ肇とクレージーキャッツ / こりゃシャクだった (1961 - Crazy Cats Deluxe)
関根さんの奇妙な替え歌や無関係な曲のイントロから連想ゲーム式に正解を当てさせるリスナー参加コーナーで多用された。布施明さんといい、志村けんさん死去に伴い各所でOAされたドリフの聖歌隊コーナーといい昔の日本は音楽性が高かった。高いというか欧米各国とそう変わらなかった。「こりゃシャクだった」も歌唱や編曲は見事だが青島幸男の歌詞がいま聞くと最悪。会社内での立場とお金のことしか言ってない。「サラリーマンは気楽な稼業」⇒思考停止した社畜。有名人に憧れるのは結構だが美人モデルも映画俳優も先行投資されている。有名人はあなたのことを知らないが、誰でも興味を持ってそうなりたい、おもしろおかしく生きたいと思わせるよう導く。私が心の友と思っても、小堺さんも関根さんも私の喜び苦しみを知ることはない。2000年代、私は会社を辞め、相変わらずコサキンを聞いていたが次第につまらなくなり(特に常連ゲストの木村大作と小林綾子が不快)、2009年3月には番組終了。ラジオの王位は伊集院光⇒雨上がり決死隊⇒しばらく空位⇒有吉弘行へと移ることに。

※2021年前半有吉弘行とハライチが弱体化、空気階段もそれを埋めるほどでなく再び空位に。
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