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Erte (エルテ)─芸術と広告

2012-01-03 22:59:49 | Bibliomania
エルテ(Erté)、本名ロマン・ドゥ・ティルトフ(Romain de Tirtoff)としてロシアに生まれ、1920~30年代のアール・デコの潮流を象徴する存在としてイラスト・衣装デザイン・舞台美術などで幅広く活躍した。
1892年、ロシア海軍高官の息子としてサンクト・ペテルスブルグに生まれる。1912年、パリの画学校に入学するが、数ヵ月で退学、モード・デザイナーを志す。1915年、雑誌ハーパース・バザールの表紙に初めて採用され(1月)、翌年から同誌の専属として、22年にわたって表紙やデッサン画を手がける。1917年、パリのフェミナ劇場で『東洋の驚異』の衣装を担当、以降、主としてフランスとアメリカで舞台や映画の美術を多数手がける。1937年、ハーパース・バザールでの仕事が終了、彼の後任は同じロシア出身のカッサンドル
1960年代後半、アール・デコ再評価により、現役で描き続けていたエルテも注目を集め、68年のリトグラフ『数字/アルファベット』シリーズなど旺盛に新作を発表する。1976年、フランス政府から芸術文学勲章を受ける。東京・資生堂ギャラリーで個展。
1990年、パリで死去(97歳)。



後半生の代表作となった、数字やアルファベットを題材とするリトグラフのシリーズより「L」─1977



Bacchante バッカスの祭尼(みこ) セリグラフ─1987



ハーパース・バザールの表紙、1935年12月号、いちばん上画像は1921年5月号



ようこそ『マガジンひとり』へ。明日で47歳になるおじさんが一人でやっておりますが、こうしてブログをはじめピクシヴやツイッターやラストFMでみなさんにかすかでも認知いただけるので、それほど寂しくないです。
きょう、待受け画面用のイラストをピクシヴに発表されてる方の作品を、実際に用いることに。
それまでは、中谷美紀のシングルCDのちょいエロなジャケ画像を用いてたんですけど、ほら、もし万が一、女性にケータイ画面を見られるような機会があるとしたら、変態っぽい待受け画面より、かわいいものを用いて、よく思われたいじゃないですか。実際、キャバクラとか行かなくなってから、そんな機会なんて、まずありえないんですけどね、人生何が起こるか分からないので。



生身の女性と知り合う機会がなくても、まあ、ネット越しでは、妙齢の女性の方にご覧いただける可能性もあるし、べつだんブログ等やってるのは、そうした不純な目的というより、掲示しておくことで、いくらかでも同好の士の目に留まって、お役に立てれば─という。
先月中旬、そんな意図が伝わったのか、「バルビエ」で検索して訪れてくれた、クラシック音楽のLPレコード・コレクターで、自らもサイト開設したり専門誌に執筆なさっている50代男性の方から、ジャケ画像についての問い合わせメールをいただいて。
クラシックにアール・デコなどモード系のジャケ画像がほとんど見当たらないので、知ってたら教えてくれないかと。
それで、その系統のものをクラシックを2点、ポップスを1点、メール添付してお送りしたんですけど、そのうちの↑画像のジャケについては「バーンスタインのマーラー全集はエルテの絵が素敵ですね! LPでの発売枚数が少なかったようで、今ではどれも高値です」との返信が来て、ご存知だったみたい。
─で、エルテって誰?となり、ラストFMで「悪意のタグ付け」するためのCD借りるついでに図書館で探して、エルテの作品と評伝を収めた本が見つかり、この記事にいたったわけです。



永瀧達治とおっしゃる、シャンソンなどフランス文化の紹介に努めてきた方の執筆した本なんだけど、なんか異常なまでに持ち上げてるんだよね。「幻想・耽美・個人主義」などの言葉で。
正直、こんなのが?ってな印象。
先のメールの方に、画像添付して返信する際、「クラシックは商品・情報としての流通の仕方が違うため(モード系のジャケ画像が少ないの)かもしれません」と述べたんだけど、CD時代にはけっこうおしゃれなジャケも増えてるにせよ、その方が集めてるLPの時代は、クラシック音楽といえば教養の殿堂で、時代に左右されない価値がある芸術音楽としてのプライドにかけて、ファッション・デザイン的なジャケなどでお客にアピールすることをよしとしなかったんじゃないか。
べつだん、↑画像の映画チラシで扱われるヘンリー・ダーガーみたいな、生前にはまったく誰からも知られず、一度も見せることのなかった、妄想を綴った大量の小説・挿絵が死後発見され話題を呼んだ─のような姿勢だけが芸術でもあるまいが、どうも、エルテの絵やデザインは、ご本人や永瀧氏がどう言い訳しようと、お客さんの目を意識した通俗的なものに過ぎないように思われる。



きょうの東京新聞によれば、昨年末の週刊新潮で吉本隆明が「科学技術や知識というものはいったん手に入れたら元に押し戻すことはできない。どんなに危なくて退嬰的であっても否定することはできないのです。(中略)たとえ事故を起こしても、一度獲得した原発の技術を高めていくことが発展のあり方です─」とのたまったのだとか。
まあ高度成長期にカリスマ論客となった人間らしい老醜のさらし方と申しましょうか、科学とか知識といったものが、未来になればなるほど発展する、前進する─というポジティブな面にしか目を向けない、ネガティブな面には目をつむる、そうしたやり方で、事故が起こる前には文化人やら芸能人やらスポーツ選手やらが原発推進広告でお金もらったわけだ。
「広告」ってのは、元来そうだ。商品の不都合な部分には触れない。
エルテの絵も同じことで、ルドンやムンクの絵が怖ろしいもの、人間の心の闇も描くのに対し、人を気持ちよくさせる、フワフワさせてお金を使わせるようなものしか描かないじゃん。そんなの、芸術じゃなくて広告だよ。
吉本隆明のバカ発言の隣りの記事では、大学で遺伝子工学を学んだ経験から政府・東京電力の(原発事故・放射能についての)発表に疑いを覚え、めおと漫才師「おしどり」として吉本興業所属の芸人でありながらも、記者会見に出て鋭い質問を浴びせ、各種メディアで警鐘を鳴らす「脱原発芸人」となった女性が大きく扱われていた(↑2011年7月、東京電力本店の記者会見で質問するおしどりマコリーヌさん。阪神大震災を経験、学者志望からちんどん屋に弟子入り、その後スカウトされたという異色の経歴。↓画像は夫で相方のケンパルさんと)。
昨今は若者・女性を中心に「いい時だけ使い捨てされる」市場原理・資本主義への警戒感が広がりつつあるのに加え、原発事故・放射能汚染のため、広告・自己宣伝のかたまりみたいな芸能人も、あえて闇の部分を直視していこうとの動きがあるのだとすれば心強い。
忘れてる、考えないようにしてる人も多いみたいだけど、もう一回大事故起こしたら、この国は終わりですから。

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