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地底からの生還─チリ鉱山落盤事故の続々報

2010-10-17 23:27:32 | Weblog
↑10月13日未明、チリ北部コピアポ郊外の鉱山落盤事故で、最初に救出され、家族と抱き合うフロレンシオ・アバロスさん=AP

団結力に世界共感─国難、動き早かったチリ
「33人目の男」が救出カプセル「フェニックス(不死鳥)」から降りて地上に姿を現すと、現場にはお祭りのような明るい歓声が響き渡った。13日午後10時(日本時間14日午前10時)前。チリ北部コピアポ近郊のサンホセ鉱山に掘り抜かれた救出坑周辺は明るいライトで照らし出され、救出劇を世界に披露するステージのように見えた。

◆家族のために
「みんなには強い精神力があった。闘う意欲に燃えていた。家族のために私たちは闘った」
ルイス・ウルスアさん(54)。33人の鉱山作業員のリーダーの声には、2ヵ月以上にわたって地下生活を強いられたとは思えない力強さがあった。
8月5日の事故発生から生存が確認されるまでの17日間。最も危険なこの時期を乗り越えられたのは、ウルスアさんの統率力が大きかった。
遭難当時、作業員らが閉じ込められた地下700㍍の避難所は気温35度前後、湿度85%という過酷な状況。食料も2日分しか備蓄されていなかった。
ウルスアさんは食料を等分。缶詰のツナを2さじ、クラッカーを1枚半、牛乳を半カップ、缶詰の桃1切れを1日おきに食べるように決めた。2日分だった食料は地上と連絡をとれた時点も、わずかだが残されていた。
仲間たちを団結させ、規律ある行動を支えたのは、20代から鉱山労働に従事したウルスアさんの経験だ。
地上と連絡がとれた後は政府の救援チームとの連絡調整にあたった。チリ政府の要請を受け、救出チームを派遣した米航空宇宙局(NASA)のスタッフは「彼は生まれついてのリーダーだ」と称賛したという。

◆大地震の教訓
2月末のチリ大地震後の対応では、津波警報を早期に解除して被害が拡大。各地で略奪も横行するなど国際的イメージが低下したチリ。8月5日に事故が発生すると、3月に就任したピニェラ大統領は米国やペルー、カナダなど近隣国に支援を要請するなど今年2度目の“国難”克服に向けてすばやく動いた。
チリ政府は医師と精神科医の専門家チームを現場に派遣。地下の避難所に通じる直径15㌢ほどの穴を開け、水や食料、薬などを送り込んだ。
支援したのはNASAだけではない。日本の宇宙航空研究開発機構も「宇宙服」として使われている下着類を提供した。
「奇跡の生還」は、作業員救出という一点に絞り、世界的に広がった共感を活用したチリの危機管理の勝利だった。



↑14日、コピアポの病院を訪れ、救出された作業員をねぎらうピニェラ大統領(前列右から9人目)=チリ大統領府提供、ロイター・共同

◆危険な「カミカゼ鉱山」
このサンホセ鉱山では過去にも事故が頻発し、土地の人は「カミカゼ鉱山」と呼ぶ。
命懸けで入山する決意がいる危険な鉱山、という意味だ。作業員たちが生還した13日、地元コピアポ市内の中央広場で特設テレビに見入っていたホセ・モヤさん(40)も、かつてサンホセで働いた。2006年と翌07年にはトラック事故や落盤で3人が死亡。別の3人が岩の下敷きになって足を切断した。モヤさんは「自分がいたころの事故だが、安全対策はひどいもんだった」と振り返る。
中央広場で生還を祝っていたマリオ・ラミレスさん(31)によれば。コピアポ市内で得られる仕事は建設工事や農業、スーパーの店員など。いずれも月給は30万ペソ(約5万円)程度だ。だが、「いい鉱山なら70万ペソにはなる」という。家族を養うために、危険な仕事でも鉱山に入らざるを得ないのが、この地域に住む平均的な住民たちの現実なのだ。

◆OECD加盟、経済成長の推進力
今年1月、チリは“先進国クラブ”として知られる経済協力開発機構(OECD)への加盟文書に調印した。南米では初のOECD加盟で、世界でも31ヵ国目。バチェレ前大統領は加盟式典で「チリはあと数年で先進国になる」と高らかに宣言した。
同国の銅埋蔵量・生産量は世界一。鉱山産業はチリの経済成長の強力な推進力だ。
チリ銅委員会(コチルコ)の統計によると2009年の銅輸出収入は262億㌦(約2兆1220億円)。チリの総輸出額の50%を占める。特に近年は中国の需要増が牽引役となり、1990年から昨年までに生産量は3倍以上に増加した。
その一方で、サンホセ鉱山は07年の死亡事故で操業停止処分を受けた。だが、安全対策が十分改善されないのに、翌年にはなぜか操業が再開された。今回の事故後、鉱山の監督官庁の検査官がわずか18人しかいなかったことも指摘され、政府のずさんな管理体制があらためて批判を招いている。

◆成長優先が招いた「国難」
「もうミネロ(鉱山)は嫌だ」。地下700㍍の地底で2ヵ月余りを過ごした最年少のジミー・サンチェスさん(19)は避難所の中で繰り返し、こう訴えていた。
低所得者層を労働力として活用し、国家の成長エンジンとなってきた同国の鉱山産業。救出劇は世界の耳目を集めたが、安全より成長が優先される構図の中で、今回の事故は「起きるべくして起きた」とも言える。 ─(コピアポ・加藤美喜、東京新聞10月15・16日)



【「殴り合いあった」原因口外せず、全員で誓約─33人、発見まで極限17日】
「死を覚悟した。生まれてくる子供にもう会えないと思った」。チリ鉱山落盤事故で、生還した33人の作業員の1人リチャルド・ビジャロエルさん(26)が、事故発生から17日後に発見されるまでの過酷な生活の一部を明らかにした。10月15日付の地元紙メルクリオなどが伝えた。
同紙によると、地下には備蓄用の水が10㍑しかなく、全員で坑道の水を飲むことを選択。「機械油の混じったひどい味だったが、飲むしかなかった」という。多くの作業員が腹を壊し、ビジャロエルさんの体重も見る見るうちに激減。「まるで私の体が私自身を食べているようだった」と振り返った。
地下での生存を知らせようと、作業員たちはタイヤを燃やして煙を起こしたが、気付いてもらえなかった。地上に振動が伝わるよう爆薬を爆発させたり、重機を坑道の壁にぶつけたりもしたという。
ビジャロエルさんはまた、英紙ガーディアンに「救出されると分かった時、中で起きたことは決して口外しないと全員で誓った」と説明。それまで33人の間でいさかいがあったことを示唆した。20番目に救出されたダリオ・セゴビアさん(48)も「鉱山で起きたことは鉱山に置いてきた」とトラブルがあったことをにおわせた。
33人の1人から手紙をもらったというサンホセ鉱山作業員は同紙に、「地下では3つのグループに仲間割れし、殴り合いもあった」と証言。「衝突の理由を話すことは、誓約に違反することになる」と詳細については言及を避けた。 ─(コピアポ・加藤美喜、東京新聞10月16日夕刊)



↑13日、最後の作業員を地上に搬送し、任務完了の垂れ幕を掲げて喜ぶ救助隊員=コピアポで(チリ政府提供、ロイター・共同)
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