マガジンひとり(ご訪問ありがとうございます。年内に閉鎖を予定しています)

書肆マガジンひとりとしての小規模な同人活動を継続します。

旧作探訪#103 『ベティ・サイズモア』

2010-08-16 23:37:41 | 映画(レンタルその他)
Nurse Betty@レンタルDVD、ニール・ラビュート監督(2000年アメリカ)
きっかけは無邪気な憧れだった…。
カンザスの小さな軽食店でウェイトレスとして働くベティ(レネー・ゼルウィガー)は、親切で誰からも好感を持たれていたが、夫のデルは隠れて浮気をし、副業としてドラッグを売りさばくなど粗野な男だった。ベティは、病院を舞台にした昼メロドラマ『愛のすべて』を見るのが楽しみで、仕事中にも店のテレビに釘づけになってしまうほど。
そんなある日、ドラッグ絡みのトラブルで二人組の殺し屋チャーリー(モーガン・フリーマン)とウェズリー(クリス・ロック)が夫を惨殺するところを目撃し、精神の均衡を保てなくなったベティは、自分が看護婦で、ドラマの主人公のハンサムな医師デイヴィッドが彼女を待っていると思い込み、車でハリウッドへ向かって、ついにはデイヴィッドを演じる俳優ジョージ・マッコード(グレッグ・キニア)とも対面する。しかし、殺人の現場を見られたことに気づいたチャーリーとウェズリーも、彼女の行方を追いかけてくる─。



NHKの『7時のニュース』を見ていて、見たくないニュース、たとえば小沢征爾が復帰するとか、カーリングの女がチームを移るとかの話題が長く続きそうになると、しばらく他のチャンネルに替えようとリモコンを操作する、そのとき無意識のうちにNHK教育、次いでテレビ東京を優先し、それ以外の民放を避けるように習慣化されていることに気づいた。
夜7時台の民放の番組は、NHKのニュースを見ていない層、ニュースを見るとしても民放が夕方にやっている死ぬほどくだらないニュース番組でも別にかまわないと考える層を相手に作られている。ゆえに、島田紳助はあのように振る舞うし、他も大差ない。ひと目見るのも汚らわしい。
といってNHKの7時のニュースも、土日は民放が夕方のニュース番組をやらず、差別化を図る必要もないためか、構成がバカっぽくなるようだ。山本志織はかわいいんだけどね。
テレビ番組も相互作用である。みのもんたや紳助も、最初からあのように横暴だったわけではない。紳助なんか、コントで女装して明石家さんまのホテルの部屋から締め出されまいとくるくる回って、倒れて一言…「寒い…」。
ええ、彼は立派なお笑い芸人さんでした。視聴者が甘やかすから、だんだんと増長して、あんなふうに。それはまた昨今の政治風景とも深く関わっている。酒場などでほかのお客の会話を聞いていると、東国原が口蹄疫と戦うとか、橋下が大阪維新で戦うとかを、まるでテレビ番組のヒーローのごとく捉えて、我がことのように思い入れて、応援している人が思いのほか多いようだ。また、そういう人たちに限って、民主党や左派の政党を敵視する向きも強いように感じる。
このように、無力で無名な自分に代わって、テレビタレントや政治家が、司会するとか、筋書きを書いて他人をプロデュースするとか、あるいは何かと戦うとかのヒーロー待望論は、独裁政治や戦争にわれわれを導きかねない、民主主義の危機的状況の表れではないだろうか。
この映画の中で、レネー・ゼルウィガー演じるベティは、病院へ潜入して、運び込まれてきた救急患者に応急処置するとか、熱烈でリアルな思い込みぶりを買われてドラマ本編にも出演することになるとか、すべてがとんとん拍子に進む。終盤に、彼女が夢から覚めてからの展開も緊迫感あって、巧みな脚本だが、それは見るからに善良そうだが完璧な憑依能力を持った優秀な女優レネー・ゼルウィガーあってこそ成立する。現実のアメリカでは、優秀な俳優を育てるのはたいへんだしお金もかかるので、もっとだらしなくて、脈絡もよくわからないような素人さんを出演させてリアルな反応を消費する「リアリティ番組」と呼ばれる形態の番組が増しているようだ。そこには、芸能界やスポーツ界や軍隊といった育成システムが、潤沢な予算などお金が回っている経済状況に依拠したものであるという現実もかいま見える。結局のところそのお金というのはわれわれがお客さんとして払うお金だったり国民として払う税金だったりするので、そうした、薄く広く集めた大きなお金を左右できる利権を死守すべくテレビ局や政治家のみなさんが劇場型政治を行うための、マスコミ=政治権力の源泉といっても過言ではない。この集金システムがうまく運ばなくなってきているのが、現今の若者の雇用状況の悪化やテレビ離れにも結びついている。
彼らが地デジの普及に血眼となるゆえんだが、島田紳助とか大河ドラマとかだったら、画質をよくする以前の問題だと思うよん。
コメント