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自分なりの記録

日本幻景 #29 — 狩野川台風

2021-05-27 18:00:17 | Bibliomania
1958(昭和33)年の台風22号は9月26日夜半、伊豆半島をかすめ、神奈川県の江の島付近に上陸、勢力を弱めながら東京から筑波山を通り抜け北海道方面へ消え去った。大雨による洪水・浸水の被害が大きく、伊豆半島の狩野川上流の山間部では鉄砲水や土石流が多発、1951年の統計開始以降で死者・行方不明者が3番目(1269名)、浸水被害が1番目(521715戸)の多さを記録。気象庁は11月に「狩野川台風」と命名、さかのぼって命名された洞爺丸台風(54年)と共に初めて公式名称が与えられた台風となる(ヘッダー画像左・韮山村南条地区では約300メートルにわたって堤防が決壊。濁流に直撃され100戸が流された。中・米軍の偵察機から撮影された狩野川台風の目。24日には877ミリバールという低気圧の世界記録(当時)に達する。右・各所で破提・氾濫した狩野川。 南条の破提ヵ所より下流方向を望む)。



函南村仁田では壊れた家屋の木材が上流から流れてきて固まりに。腰まで泥水に浸かり遺体の収容に当る陸上自衛隊。



大仁小学校講堂には付近で発見された遺体26体が安置されており、家族を求めて来る人の波が絶えない。


10月3日、大仁町三福地区の捜索隊は河原の泥の割れ目からわずかに出た指を発見、1メートルの深さの泥中から18歳くらいの男性の遺体を引き上げた。この時点でも行方不明者は500名ほどにのぼる。


伊東の温泉旅館はちょうど浴衣から丹前へ衣替えの時期で、倉庫から出す直前の丹前をやられた旅館が多く、野天風呂で泥を洗い落とそうと。狩野川は支流や曲折が多く、傾斜も急で、天城山系に降った大雨が一挙に集まって洪水を起こしやすい地形の川であった(記述と画像:アサヒグラフ・ウィキペディア)。
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