マガジンひとり

自分なりの記録

旧作探訪 #149 - ヴィヴィアン・マイヤーを探して

2016-03-16 20:32:03 | 映画(映画館)
Finding Vivian Maier@早稲田松竹/監督・脚本:ジョン・マルーフ、チャーリー・シスケル/2013年・アメリカ

その才能は謎の扉の奥に――
ヴィビアン・マイヤーとは何者なのか?


2007年、ジョン・マルーフというシカゴ在住の青年がオークションで大量の古い写真のネガを手に入れた。その一部をブログにアップしたところ、熱狂的な賛辞が次から次へと寄せられた。ところが、その撮影者の名前「ヴィヴィアン・マイヤー」をネットで検索しても1件もヒットしない。2年後、彼女の名前を再び検索したところ、彼女が数日前に亡くなったという死亡記事が見つかった。ついに彼女の所在を突き止めたジョンだが、意外な事実を知ることになる――。

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1950年前後からナニー(乳母)として生計を立てながら、15万点以上に及ぶ写真を撮影していたヴィヴィアン・マイヤー。しかし生前1枚も公表せず、写真家として称賛されることはなかった。セルフポートレートに写るヴィヴィアンは、ミステリアスで不機嫌そうなのにもかかわらず、写真全体に溢れる雰囲気はとてもユーモアに溢れる。そして、彼女が撮影した人々もまた、その人らしさに溢れた最高の瞬間を収められている。

作中で彼女との思い出を語るのは、彼女が世話をした子供たちや雇い主であるその親たち。そこで浮き彫りになってくる、彼女の抱えていた問題や悲しい記憶。しかし、それらは真実のようでありながら、聞けば聞くほど彼女の本当の心は分からなくなっていくようでもある。語られるナニーとしてのヴィヴィアンと、写真家としての彼女の素晴らしい作品とが交互に映る映像を観ていると、変わり者で秘密主義、他人をよせつけない堅物の女性という周囲の印象と、遺品の中に見え隠れする「作品を見てもらいたい」という思いの差に胸が締め付けられる。

誰かと繋がること、何かを発信すること、他人に自分を気付いてもらうことは割と簡単な時代になった。しかしだからこそ、余計に他人の目や、意見ばかり気にしてしまいがちなわれわれ。『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』は、情報過多の現代に生きるわれわれに、孤独の中で研ぎ澄まされた才能を突きつけ、多くの問いを投げかけずにはおかない――




映画を見て、一夜明けたら、ショーンナントカという人物が話題の中心にいた。
ごくわずかな番組を除いてほとんどテレビを見ない私には初耳の名だ。いや正確には、「ショーンK」なる略称ならば、ツイッター上で目にしたことがある。おおむね揶揄的に扱われていた。

近年、こうした人物の知名度は「御祝儀価格」化が著しい。
そもそも実勢価格はゼロかマイナスで、小保方さんや佐村河内さんのように彼らを評価したり起用した人物まで負の連鎖に巻き込まれるような、よくない噂の火元として消費され、アッという間に忘れ去られる。

詳しくは「デフレTHEゆーめいじん」で述べたように、この傾向は消費するわれわれをも巻き込み、日本人全般の価値を下げる。米国の大統領選も今回は特にくだらなくてウンザリさせられるものの、世界中から注目されていることは確かであるのに対し、われわれの方はだんだん海外の人から関心や敬意を持たれなくなり、日本国の位置付けを自ら低からしめているように思えてならない。




「死後に発見された天才」
街頭で写された過去の写真を探してオークションや骨董市を漁っていたマルーフ青年が発見し、彼はたいそうな情熱家で、MOMAなどの権威ある美術館には門前払いをくらうも、ネットで少しずつヴィヴィアンの作品を発表して反響を得ると、個展を開くため奔走、プリントを売って資金を得ながら、多くの場所で開催し、ついに彼女の才能への評価を定着させるに至った。

被写体の人物等と共鳴し、ある瞬間を切り取った彼女の写真は、われわれをハッとさせる。高名な写真家も、他の誰にもない視点があり、新たな表現の基準になりうるとお墨付きを与える。彼女は女性としては大柄で、男性との接触を恐れる一方、雑踏を恐れず、子ども連れでスラム街へ入って勝手に写真を撮ったり、録音機を持ってスーパーで時事問題についてインタビューしたりした。大量の新聞を貯め込み、子どもに手をあげたり、雇い主とトラブることもあった。生涯貧窮に悩み、老後は、乳母として育てた子どもの何人かが彼女のためにアパートを借り、そこで83歳まで暮らした。

しかし誰も彼女が貯め込んだネガフィルムや新聞の類いには興味を示さず、生前その独特な才能が知られることはなかった。彼女の写真は、孤独な、無名の、住み込みの乳母という人格の軽んじられる存在だったから、撮ることができたのか、すべてが傑作といえるのか、あるいは彼女の他にもそうした存在は埋もれているのか、謎は尽きない。

ただ言えるのは、前回の『牡蠣工場』と同じく、市井に生きる無名の人の姿が、私の心を動かし、温めてくれるという事実である―
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