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日本幻景 #15 - 報道写真の曙

2016-02-18 20:53:09 | Bibliomania
画廊や写真館の経営、民間のカメラクラブ主宰、広告写真家と肩書は違えど、それぞれ同時代の文化芸術を担おうと意欲にあふれる木村伊兵衛ら3人を同人として1932年、写真同人誌『光画』が発刊。

美術評論家の伊奈信男は創刊号に「機械文明の産物である写真は芸術と手を切り、社会を意識するべき」と檄文を寄せた。同誌の寄稿者や、ライカを持ちドイツのグラフ誌で活躍していた名取洋之助ら5人は、ドイツ語のReportage-Fotoを訳した「報道写真」を志向する制作集団・日本工房を設立。

フリーランスのカメラマンという概念がなかった時代のため日本工房への発注は乏しく、木村は独立して中央工房および国際報道写真協会を立ち上げる。残った名取は日本工房主導で発表の場を作ってしまおうと、対外文化宣伝グラフ誌『NIPPON』を創刊した。

1930年代初頭は外貨獲得のための観光客誘致と、日本理解促進のため、政府も国際宣伝を重視するようになっており、満州事変への批判を受け日本が国際連盟を脱退したことも重なって、鉄道省や外務省も中央工房や『NIPPON』への援助を開始、文化宣伝や観光宣伝のグラフ誌には次第にプロパガンダ色が表れてゆく。 ―(図版とキャプションはすべて白山眞理・小原貴史『戦争と平和 《報道写真》が伝えたかった日本』平凡社・2015年7月、より)




↑左・NIPPON・15号(表紙写真:土門拳)/右・NIPPON・24号(表紙写真:亀倉雄策)

「外国の人に真実の日本の姿を認識せしめ 彼等の有するあらゆる優越感を是正することが目下の急務である。世界平和の鍵は こゝにある」 鐘淵紡績社長・津田信吾のNIPPON推薦の辞




↑1938年、外務省の外郭団体・国際文化振興会が制作したジャバラ式のパンフレット『日本』に掲載されたフォト・モンタージュ

「二百万部の『ライフ』を通じて数百万の人々に訴へる対外宣伝の王道が茲に開けてゐるのである」 土門拳『アサヒカメラ』1939年7月号




↑米LIFE・1937年8月30日号の「日本人―世界で最も因習的な国民」より

1931年の満州事変以降、欧米で日本への興味が高まった。米タイム社の週刊グラフ誌『LIFE』は36年の創刊以降、名取や木村の写真を表紙に使い、友好的な論調であったが、37年7月の盧溝橋事件に端を発する日中戦争勃発後に姿勢を変える。↑画像の特集では、木村・名取らの配信写真による日本旅館や浴室の様子を9ページにわたり紹介、日本は中国の模倣で発展したが規範や慣習に盲従しているだけなどと解説。特に、旅館の廊下で手をついてお辞儀をする女中の写真は、横にスリッパと茶器盆が並んでいたため「不潔」と捉えられ、逆宣伝の見本のようになってしまった




↑1945年、『写真週報』327号より「義烈空挺部隊」

日米開戦後、写真家は「カメラを持った憂国の志士」として戦時協力の疑念なく、大東亜共栄圏向け大型グラフ誌『FRONT』の創刊(1942年)など国策に沿って活動を行う。また国内向けには1938年創刊の『写真週報』などにより啓発宣伝が行われ、これらは戦地にも届けられて兵士の心を慰めたが、戦況悪化に伴う物資不足から簡素化を余儀なくされ、遂には無条件降伏に至り、戦意高揚は虚しく潰え去った




↑1945年8月10日、福岡の軍管区司令部で報道に携わっていた山端庸介が長崎市で撮影した一連の写真より(日本写真家協会蔵)

戦争末期、映画会社の再編統合により財団法人日本映画社がニュース・記録映画の制作を一手に担っていた。8月、広島・長崎への新型爆弾投下と敗戦の報を受け、文部省の災害調査の一環として、日本映画社も記録映画の制作を行う。広島での撮影が終了し、長崎での撮影も終盤となった1945年10月24日、スタッフが米MPに拘束され中止命令を受けたが、日本映画社の相原秀二らの交渉により、米国戦略爆撃調査団(USSBS)の管理下で撮影再開された。46年に完成した記録映画『Effects of the Atomic Bomb on Hiroshima and Nagasaki(広島・長崎における原子爆弾の効果)』は米軍にとって重要な情報が含まれるためただちに接収、スタッフは現像所への発注を誤って二重に出すという方法で、未編集のフィルムを密かに保管。52年、占領が終るとこれらのフィルムの一部がニュース映画などで活用され始め、67年には日米政府交渉によりフィルムの正式な返還が実現。文部省は人権に配慮するとの姿勢により被爆者の映る部分を一部カットして公開し、82年になってようやく全篇の公開が成った




↑1947年・トッパン、『天皇』、編集:サン・ニュース・フォトス、構成:亀倉雄策。46年初頭に発せられた昭和天皇の神格否定人間宣言を、天皇の日常生活を写した写真と、高松宮宣仁親王らの執筆により補足する、当時としては画期的な出版


「今や宮廷の中の、また宮廷をとりまく抜け目のない老人たちは新しい神話を製作しつつある、=国民の福祉に熱心な関心をもつ民主的な君主に関する神話である」 マーク・ゲイン『ニッポン日記』より「1946年3月26日」



戦争と平和: 〈報道写真〉が伝えたかった日本 (コロナ・ブックス)
白山 眞理,小原 真史
平凡社
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