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東京ウシジマ新聞 #46

2015-05-07 20:44:39 | Weblog
【ドナルド・キーンの東京下町日記】 - 日本兵の日記 私の原点
新潟県柏崎市のドナルド・キーン・センター柏崎で特別企画展が先月始まった。展示されているのは、太平洋戦争中に米軍が押収した日本兵の日記の複製。原本は米国の国立公文書館別館に保管されている。日記のほとんどは、1942年から翌年にかけて南太平洋のガダルカナル島で戦死した日本兵のものだ。弾丸が貫通してできたと思われる穴や血痕も残っていた。

展示物を見ながら、私は米海軍の通訳士官として初めて派遣された米ハワイ州真珠湾の基地を思い出した。任務は米軍がガダルカナル島で押収した日本軍の文書の翻訳。最初は機械の説明書や兵士の名簿といった印刷物だった。価値を感じられず、無味乾燥な翻訳が続いた。そんな時、押収文書の保管場所に誰も手を付けない大きな木箱があることに気が付いた。

上官に聞くと、ガダルカナル島で日本兵の遺体から抜き取った日記が入っているという。木箱から日記を取り出すとかすかな異臭。乾いた血痕の臭いだった。抵抗を感じながらも手書きの日記を読み始めると、死を予感しながら吐露した殴り書きに、戦争とはどんなものかが分かりはじめた。

米兵は日記を書くことを禁じられていた。日記が敵に渡れば、軍事情報が漏れるかもしれないからだ。逆に、日本兵には、書くことが義務付けられていた。日記は上官が検閲して、兵士の愛国心を確認する手段だったという。日本を離れる前の日記には「挙国一致」「鬼畜米英」といった決まり文句が並んだ。ところが、ジャングルの戦地で砲撃され、食糧や水の不足で飢えや乾きに苦しみ、マラリアに倒れると、それどころではなくなった。

ガダルカナル島は日米間で初めて大規模な地上戦が展開された場所だ。上陸した約3万1千人の日本兵のうち約2万人が戦死。補給が断たれた日本軍はまともに戦えず、多くが餓死や病死だった。瀕死の僚友がうめく塹壕の中で、背中を丸めながら書いただろう最期の苦悩、家族への思い、望郷の念―。私は耐えられないほど胸を打たれた。

「今何をして居る事か 父母よ兄妹よ 永遠に幸あれ」
「昨晩ワ楽シイ故郷ノ夢オ見マスタヨ 皆ンナ元気デ暮ラシテイルトコロデスタヨ」
「腹が空いてなんだかさっぱり分からぬ」
「顔が青くなりやせるばかり」
「妻よ子供よいつ迄も父帰る日を待って居てくれ」

私は日記に夢中になり、漢和辞典と和英辞典を何度も引きながら翻訳した。最後のページに「戦争が終わったら家族に届けてほしい」と英語で書かれた日記もあった。その願いをかなえようと日記を隠しておいたが、見つかって没収されたこともあった。

米軍が押収した文書は戦後、ほとんどが焼却処分され、国立公文書館に保管されているのはごく一部という。今回、展示されている日記は私が読んだものかどうか記憶は定かではない。だが、当時を思い起こさせるには十分だった。

あの日記を読まなければ、私は日本の日記文学に深い関心を持たなかったかもしれない。日記を書いた日本兵には会えるはずもなかったが、私に心を開いてくれた初めての日本人であり、かけがえのない親友だったのである。 ―(日本文学研究者、東京新聞2015年4月5日。↑写真はドナルド・キーン・センター柏崎で日本兵が残した日記について語るキーンさん)



「政府から圧力」相次ぐ告発 ← 安倍政権の意に沿わぬ 海外メディア・識者
特派員の記事で本社に抗議されたり、御用学者を推薦されたり…。海外のメディアや識者から「日本政府から圧力を受けた」との告発が相次いでいる。外務省は「報道の自由は尊重している」と主張するものの、かえって日本の評判を落としているようだ。



↑日本外国特派員協会の機関誌『NUMBER1 SHIMBUN』最新号。ゲルミス記者の記事が掲載されている

特派員記事で本社へ抗議 / 識者「信用できない」耳打ち
「東京で5年勤務した外国人特派員の告白」と題した特集記事が、日本外国特派員協会の機関誌『NUMBER1 SHIMBUN』最新号に掲載された。寄稿したのは、独紙フランクフルター・アルゲマイネのカルステン・ゲルミス記者。2010年1月から東京で勤務し、今月で任期が切れる。注目は、安倍政権の歴史観を批判した記事に対する日本政府の反応だ。

「フランクフルト総領事が本社を訪れ、国際報道の責任者に抗議文を手渡し、『この記事が中国の反日プロパガンダに使われる』と主張した」。どの部分が誤りなのか尋ねたが、外交官は直接答えず、「金が絡んでいる」と言い出した。執筆の意図については「中国ビザを取るために中国に好ましい記事を書いていたのではという解釈まで示した」という。

ゲルミス記者の話では、外務省の「圧力」が強まったのは2014年だ。この年に何が起きたかといえば、慰安婦問題で朝日新聞が一部記事を取り消すなど大きな動きがあった。

外務省は、米大手教育出版社『マグロウヒル』の教科書に「慰安婦を強制連行した」などの不適切な記述があるとして訂正を要求。執筆者のハワイ大准教授に接触して修正を求めたそうだ。これには、米国の歴史学者19人が「政府による圧力」との声明を出して反発した。

米紙ワシントン・ポストなどによれば、外務省は外国特派員らに対し、安倍政権の考え方に近い識者から見解を聞くように誘導していた。政府に批判的な識者については「信用できない」と触れ回っていた。

外務省の伊藤恭子国際報道官は「報道や表現の自由は尊重している。その上で、事実関係に誤りや誤解があれば申し出をすることもある。(ゲルミス記者の歴史観の記事に対しては)アルゲマイネ紙に反論を掲載した。総領事が抗議した際にビザや金の話はなかったと認識している」と話した。

外務省から「政権に批判的な識者」として名指しされていたとされる中野晃一・上智大教授(政治学)は「知り合いの特派員が外務省職員から『中野は信用できない』と聞いたそうだ」とした上で、「外務省のやり方はマイナス。記者の習性として逆に話を聞きたくなるし、陰で国家がコソコソとやる方が不信感をもたれる」と首をひねる。

米国の教科書については「記述に問題がないわけではないが、事実認定が難しく、さまざまな説がある。米国の学者は真偽論争ではなく、政府の介入に『ノー』と言っている。それを理解しないと、日本の国際イメージが損なわれる」と指摘した。

実際、海外の日本研究者の間では日本政府への不信感が募っている。山口智美・米モンタナ州立大准教授(文化人類学)は「『政府見解と違う』と外交官が訪問して抗議するなんて聞いたことがない。何か勘違いしているのではないか」と指弾した。 ―(鈴木伸幸、東京新聞2015年4月14日)





貧しい農村 消えた花嫁 - 中国でベトナム女性20人超
中国河北省で昨年11月、農家に嫁いだベトナム人女性20数人が一斉に失踪する事件があった。なぜ遠く離れた中国の農村に多くのベトナム人花嫁が嫁ぎ、突然消えたのか。事件の背景を探ると、経済発展に取り残された農村の悲哀が浮かび上がる。



↑ベトナム人花嫁を紹介していた仲介者が経営していた美容院(手前)。被害者らによる放火で窓の周りが黒く焦げていた=中国河北省邯鄲市で

深刻な「男性過剰」 - 誘拐され結婚も
事件は昨年11月21日、河北省邯鄲市街地から車で1時間半ほどの農村部で起きた。目撃者によると、この日の午前、多くの若い女性が数台の車に乗って去ったという。失踪者はいずれも美容院を営むベトナム人女性(49)が紹介、配偶者などの被害者らは紹介料として10万元(約190万円)を払っていた。仲介した女性も同時に姿を消しており、地元警察は結婚詐欺事件として関係者3人を拘束したが、仲介者が含まれているかは明らかにしていない。

被害者の一人で昨年8月に結婚した袁新強さん(23)の母親(50)は「息子に少しでも早く結婚してほしかったのに、こんな事になるなんて」と話す。花嫁の多くは中国語ができず、花嫁同士は毎日のように集まっていたという。

迎えてわずか10日で失踪したケースもあり、近くに住む別の被害者は事件後、両親ともども村を立ち去った。

中国の一人当たり国内総生産(GDP)は7千ドル(約83万円)程度だが、被害者宅の年収はその4分の1にも満たず、紹介料を払うためわずかな蓄えや高利貸から借りたケースもある。袁さんも事件を受けて借金を返すため北京に出稼ぎに出かけたという。

異国の女性が農家に嫁ぐケースは日本でも珍しくないが、中国の場合は農村の「男性過剰」がより深刻だ。男尊女卑の観念がいまだに強く、女児の間引きすら伝えられ、男女別出生比率は昨年で115.88対100と、圧倒的に男児が多い。このため2020年には20~45歳の男性3千万人が「余る」試算もある。

さらに若い女性は都市部に出稼ぎにいったん出ると農村に戻りたがらず、農家の男性と結婚するには「都市部にマンションを持っていることが条件」(地元関係者)。「農村は男性過多、都市部は女性過多」(同)のアンバランスな状況が結婚難に拍車をかけているという。

このため農村部では以前から四川省など人口が多くて貧しい地域から「妻を買ってくるしかなかった」(国営新華社通信)。近年増えているベトナム女性の場合、勤勉、素朴、伝統的な観念が評価されているといい、ベトナム政府の統計では1998年から2010年の間に29万人以上が中国はじめ韓国やドイツ、カナダなど世界50ヵ国以上に「嫁いだ」という。

ただ、中国の場合は違法なケースも目立つ。ベトナム公安省の統計では04~09年で2400人以上のベトナム女性が誘拐またはだまされて中国に連れ去られた。袁さんの「妻」も身分証明関係の書類は何も所持しておらず、どういう経緯で来たのか不明だ。

仲介者が営んでいた美容院は被害者らによって放火され、建築途中の新居とともに無惨な姿をさらしていた。近所の女性は仲介者について「ベトナムから嫁いできて20数年。2人の娘もいる。失踪の責任はあるが、彼女もだまされたのではないか」と話していた。 ―(新貝憲弘・写真も、東京新聞2015年2月4日)



チップ前提 ウェーターら時給250円 - 生活安定 遠く
米国のレストランなどで会計時に客が払うチップは、ウェーターやウェートレスらの貴重な収入源だ。だが、彼らは「チップがもらえる」との理由で一般の最低賃金が適用されず、安い賃金で長時間働いていることが多い。チップを受け取る職業の米連邦最低賃金は、時給わずか2.13ドル(約250円)。チップに頼る生活は不安定で、貧困率も高い。労働団体は「チップで収入を得るというシステムはもはや機能していない」と訴えている。



↑ニューヨーク市内のハンバーガー店で働くウェートレス。収入の一部をチップに頼る

米国 最低賃金の適用なし
「出勤するとき、きょういくら収入があるのかまったく分からない。こんなひどい制度はやめてほしい」。ニューヨークでウェートレスとして働くアレクサンドラ・サンファンさん(45)は訴える。

日本人にはなじみのないチップだが、米国で飲食した際には会計の15~20%程度を出すのが一般的。ウェーターやウェートレスらの収入となる。このため、ニューヨーク州などではウェーターらに一般の最低賃金は適用されず、賃金ははるかに安い。チップを加えれば最低賃金に達すると想定した制度だ。

だが「十分もらえるときもあれば、ほとんどないときもある」とサンファンさん。南米コロンビアからの移民である彼女は、特にチップ収入が少ないと主張する。「チップを多くもらえるいい時間帯のシフトは米国人男性たちに取られ、回転のいいテーブルも移民女性は担当させてもらえないのが普通」。チップを加えても最低賃金額に達しないときは雇用主が穴埋めすることになっているが、「18年間、多くの店で働いてきたけれど、不足分を穴埋めしてくれた店は一つもなかった」と振り返る。

客がクレジットカードで支払うと、チップはいったん店に入る。現金でも、すべて集めてから後で分配する店が多い。サンファンさんは「会計がいくらで、店がそのうちいくら取っているか店員には分からない」と眉をひそめる。各州の労働当局などには「雇用主がチップをかすめ取っている」との訴えが数多く寄せられている。

ニューヨークの市民団体「コミュニティー・サービス・ソサエティー」によると、市内でチップを受け取る労働者の平均収入は労働者全体の平均の60%にすぎず、貧困率は倍以上。20.1%が、政府が貧困層に配るフードスタンプ(食料購入補助券)の利用者だ。

貧困層を支援するジェシカ・ウィズネスキさん(34)は「最先端の街ニューヨークですら、最低限の賃金を雇用主が払わず、チップ次第だなんて時代遅れだ」と話す。労働団体などは一般の最低賃金適用を訴えているが実現しているのは全米で7州にとどまっている。 ―(吉枝道生・写真も、東京新聞2015年2月4日)


◆チップを受け取る職業の最低賃金 米連邦の規定では、1991年以来、時給2.13ドルのままで、一般の最低賃金(7.25ドル)との差が拡大している。収入の7割をチップで得なければ一般の最低賃金に達しない。ニューヨーク州では職種によって違うが、ウェートレスなどは5ドル。改定に向けた審議が行われている。一般の最低賃金は8.75ドル。
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