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中森明菜の15曲

2014-07-13 22:13:20 | 音楽
6月17日にOAされたロンドンハーツ「もしもこんな2人を飲ませたら」の、中でも有吉弘行と青木さやかの様子は酒の肴としてパンチが利いていた。いまや芸能界のインフラ側に立つ権力者となった有吉を前に、借りてきたネコのようにかしこまる青木は、後日スタジオでこの様子をVTRで見せられ「緊張していた自分が、あまりに女っぽいんで…(驚いた。芸人の部分を忘れていた)」と。

逆に青木がもっと売れていた頃、彼女は竜兵会の宴席に呼ばれ、売れていなかった有吉を筆頭に激しい「セクハラヤジ」を浴びせてくるのに我慢できず、TV収録中なのにも関わらず帰ってしまい、さらに有吉を「手を回してTV界から干そうとした」という因縁があると聞く。良心を捨てた人間の集まる、悪徳も銭に換えられる芸能界で、普通のおばさんである青木さやかに生きる道はあるのか、あるいは有吉が提案した性格俳優の道か–


『中森明菜・心の履歴書』という本を読み、芸能界という汚水の中で、いかに奇跡的に明菜という大輪の蓮の花が咲いたのかを痛感。彼女が慕っていたディレクターがバクロ本を出したのに対抗し、明菜を取材してきたポポロ編集部が、その生い立ちや心境をまとめ、1994年暮れに出版したものである。

これによると、明菜の生家は大田区の精肉店で、6人きょうだいの5番目として彼女を産んだ時、母は助産婦を呼んだものの間に合わず、自宅で1人で産み落とし、3時間後には掃除機をかけたり店に出ていたという。

生後5ヵ月で一家は清瀬市に一軒家を購入、父は大田区で精肉店を続け土日だけ帰宅する生活で、やがて父が愛人をこしらえて生活費に事欠くようになると、母はさまざまな仕事を掛け持ちして家計を支えた。きょうだいのうち明菜ら下の3人は経済的な理由で幼稚園に通わせてもらえなかったが、貧しい中でも、長女はピアノを習い、長女ら姉2人と明菜もバレエ教室に通った。自宅を増築して子どもたちそれぞれに部屋ができた時は、それぞれステレオ装置も買い与えられた。

この母が本来歌手志望で、頼まれてクラブで歌っていたこともあり、家にはクラシックやシャンソンなど数百枚のレコードがあったといい、そうした環境で明菜の才能は培われた。主要科目は苦手でも、音楽・図工・体育では学校でも目立つ存在だったという。

中学時から『スター誕生』に応募、3回目の高1時(1981年)に高評価を受け、翌年のデビューに至る。そして2曲目の「少女A」が大ヒット、85年と86年にはレコード大賞を連続で受けるなど、大歌手の道を歩むが、交際していた近藤真彦の背信から89年に自殺未遂、所属事務所やレコード会社との金銭・移籍トラブルも重なり、92年には連ドラ『素顔のままで』に主演して新境地を開いたものの活動は次第に低調となる。今世紀に入ってからはカバー集『歌姫』シリーズを中心としていたが、2010年に体調不良から活動停止を発表…。


かつて私が毎週シコシコ自分のチャートを作っていた時期(1979~91、いまブログでやってるのは復活版)と中森明菜の全盛期は重なっているのだが、彼女の曲が1位になったのは83年の「禁区」と90年、リリースから2年後、アルバム中の曲「Fire Starter」と、2回のみ。同じ時代、彼女の真価を分かっていたとは言い難い。

「少女A」を聞いた時、山口百恵の亜流に過ぎないのではと思ったものだが、今にして、山口百恵というのは歌の世界を、歌詞を台本として完璧に演じる女優のような存在で、中森明菜というのは「♪言葉じゃなくてソウル(魂)を感じたい」と本人も歌っているように、作詞作曲を超え、自分自身を強烈にぶつけてくるような、異能の表現者であり真のミュージシャンだったのだなと気付く。

いわば百恵は100点を取る優等生で、社会的にも如才なく、浮き草の芸能界をとっとと捨てて専業主婦に。明菜は勉強ができなくても、得意分野では150点でも200点でも力を発揮する。凄い天才がゴロゴロいる海外の音楽にも見劣りしないが、日本の社会という枠の中では巧く立ち回ることができず、「不良・わがまま」と誤解されたり、周囲の人物から利用されたり裏切られたりして悪循環にはまる。

都立高から大学を経ず役人企業NTTに就職した私は、ピンク・フロイド、XTC、ディペッシュ・モード、ザ・スミスといった、音楽好きの大卒サラリーマンが好むような音楽を優先し、中森明菜やR&B、ヒップホップ、レゲエなどを偏見とまではいかないくても二の次にしていたが、精神科入院を経て無職になり結婚もできず、ドロップアウトして音楽に浸りながら言いたいことを言っているいま、明菜の音楽をソウルメイトのように近しく感じるのだ。

社会からはじき出されるが、音楽からは選ばれるような宿命。きょう7月13日は彼女の誕生日なのだとか。私も昭和40年の生まれ。8月には5年ぶりの新曲を収めた2組のベスト盤がリリースされると聞く。前途に幸多からんことを–



少女A (1982)
セカンド・ラブ (1982)
北ウイング (1984)
飾りじゃないのよ涙は (1984)
ミ・アモーレ(Meu amor e・・・) (1985)
SAND BEIGE-砂漠へ- (1985)


DESIRE-情熱- (1986)
Fin (1986)
難破船 (1987)


Fire Starter (1988)
TATTOO (1988)


Heartbreak (1988)


LIAR (1989)


月華 (1994)


I LOVE YOU (2009)
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