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北杜夫さんとの出会いと別れ

2011-10-27 22:58:06 | 読書
きのう訃報が伝えられた北杜夫さんには、少なからぬ恩義がある。いや、いまのオラが無職で独身で、このブログをみなさんにお目にかけることで、かろうじて社会とつながっていられるのだとすれば、その文体に大きな影響をもたらした人物として、一生の恩人とするのも過言ではない。



小5当時、横浜市の団地に住んでいたオラは、1学期の最後のお楽しみ会で、やはり団地っ子の柳田、川島、浜村くんの3人と班を組み、さらにクラス一の秀才で人望があり、かつ1学期限りで滋賀県に転校してしまうことが決まっていた、団地外の一戸建てに住む奥野くんを班に誘うことに成功。その演目を決めるのに、奥野くんの家に全員が招かれ、新潮文庫の『船乗りクプクプの冒険』を読ませてもらったのが、北杜夫さんとの出会いとなる。
クプクプをアレンジしたミニ演劇に主演して去っていった奥野くんだったが、それをきっかけに、残された4人が4人とも読書にのめり込み、それぞれ贔屓の作家もできたりして、子どもの文学談義に花が咲いたものの、親の転勤の多い団地っ子のことで、中学へ進むころには全員が離れ離れになってしまい、中2のいまでは所在さえ定かでない─という思い出を綴った「ぼくの世界が広がった日」という作文が、その年の読売新聞主催の全国小中学校つづり方コンクールで東京都代表に選ばれ、全国でも2位に選ばれたんだよねェ~~ナントカ宮殿下も列席する表彰式で、ごっついトロフィーいただいて、新聞にも名前が載ったんだわァ~



作文の指導をしてくれた奥村先生の勧めで、その顛末をしたためて北さんにお礼状として送ったところ、ご覧のような直筆のメッセージとサインの入った返信をいただいて。高名な作家さんといえど、読者をたいせつにする誠実なお人柄がしのばれる。実のところ、その時点では北さんの著書は読みつくして、筒井康隆さんにのめり込んでいたんだけどね。



↑1960年、「夜と霧の隅で」で芥川賞を受けるとともに、長編エッセイ『どくとるマンボウ航海記』がベストセラーになっていたころの北杜夫さん。兄の斎藤茂太氏邸に居候していたのだとか。
高名な歌人であるとともに、才能を見込まれて大きな精神病院を営む医家の跡取り養子となった斎藤茂吉の次男。彼の作品を特徴づける、みずみずしい詩情やおおらかなユーモア感覚は、そうした出自や松本市・仙台市での学生生活で培われた。昆虫採集や卓球に熱中し、医学部には進むが、文芸への夢も捨てきれず、「落ちこぼれ精神科医」みたいな立場に甘んじながら、しだいに文名を高めてゆく。



クスクス笑いながら読みふけった幸せな記憶とともに保管してある、北さんの著書を読み返してみると、その面白くないことに驚く。ほとんどの作品は、再読には堪えない。『どくとるマンボウ青春記』や『さびしい王様』など、小学生当時、腹かかえて笑ったのに─



『どくとるマンボウ航海記』は、純文学も書く作家が、くだけた文体でエッセイを書き、かつ「どくとるマンボウ」のような親しみやすいキャラとしても認知される、初めての例となった。その後、多くの作家が、同じような行動を取るとともに、アゴアシ付きで旅行して旅行記を書いたり、キャラ同士の交友を売り物にしたり、広告や映画に出演したり─といったお客をナメ散らかすマスコミの悪弊も広まっていくのである。
↑画像は1980年ころ、北杜夫さんが自宅居間でくつろぐ様子。精神科医でもある彼には、詐病というより、実際に躁鬱病の気があり、躁病の際のとんでもない行状も作品化したりとか。株で破産したこともあるというが、彼を踊らせて、たった1割の印税を渡してガッポリ稼ぐ新潮社や中央公論社が援助して、家も売らずに済んだろう。たいせつなタレントだ。
北杜夫さんの「人を傷つけないやさしいユーモア」は、名家の出身で、かつ作家の商品価値を大幅に高めて、出版・マスコミ界にも貢献した彼だからこそ、ブランド・マークとすることができた部分もあったろう。
天涯孤独の身で、なんの遠慮もする必要がないオラには、真似できない、真似するべきではないことなのだが─



「ぼくの世界が広がった日」を読んでの、中2当時の担任だった、美術の島崎先生の感想が書かれた紙を見つけて─
─野崎の中の「すなおさ」を再発見─野崎の中のちょっとどぎつい部分がかげをひそめて─
立派な先生でした。クラス全員と交換日記的なことをやって。いまのオラ、このブログは「どぎつい部分」が全開だ。ネチネチした毒舌、人の批判や悪口の雨あられ。
悪口を言うってことは、悪意である。悪意が次の悪意を招き、雪ダルマ式にふくらんでいく様子が、ことに『闇金ウシジマくん』では繰り返し描かれる。
悪意を示す者は、その行方に責任を負わねばならない。予想もつかない受け取られ方をするかも分からないが、投げ出さず、正々堂々と全力を尽くして貫くしか、それを負う方法はない。きょうイニシャル・トークにしなかったのも、奥野、柳田くんらオラ以外の4名は、みな働き盛りの社会人になっていると思うが、彼らに対しても恥じないブログでありたいと願うから。
当時からいままでを振り返って、最初に出会った「作家」が北杜夫さんであったことに感謝するとともに、安らかな眠りに就かれますようお見送りいたします。
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