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1952 - ヘルシンキ五輪

2011-10-03 23:34:17 | メディア・芸能
第15回オリンピック大会は7月19日から8月3日までフィンランドの首都ヘルシンキで行われた。参加国はギリシャ、蘭領西インド、アルゼンチン、オーストラリア、バハマ、ベルギー、バーミュダ、ブラジル、英領ギアナ、ブルガリア、ビルマ、セイロン、チリー、エジプト、スペイン、南阿連邦、フィリピン、グァテマラ、オランダ、ホンコン、インドネシア、インド、イラン、エール、アイスランド、イギリス、イスラエル、イタリア、オーストリア、ジャマイカ、日本、ユーゴ、カナダ、韓国、黄金海岸、キューバ、レバノン、リヒテンシュタイン、ルクセンブルグ、メキシコ、モナコ、ソ連、ニゼリア、ノルウェー、パキスタン、プエルトリコ、ポルトガル、ポーランド、フランス、ルーマニア、スウェーデン、ザール、西ドイツ、シンガポール、スイス、シリア、デンマーク、タイ、トリニダット、チェコ、トルコ、ハンガリー、ウルグァイ、ニュージーランド、ヴェネズェラ、ヴェトナム、アメリカ、フィンランド(開会式行進順)に遅ればせに参加した中共を加えて計69ヵ国、選手数も5900余人を数えオリンピック史上空前の記録であった。
日本もベルリン大会以来16年ぶりに参加、72名(陸上19、水上27、自転車4、体操5、ボクシング2、レスリング5、ボート5、射撃1、馬術1、フェンシング1、重量挙1、ヨット1)の選手が12種目に出場した。
日本の16年ぶりの参加もさることながらヘルシンキ大会最大のニュースはソ連の参加で、ソ連は帝政ロシア時代1度選手を送ったことがあるが革命後は初めてのことであり、スポーツに関する限りは鉄のカーテンが取りのぞかれた感があった。また国府、中共が共に参加を許されながら国府は中共とは同席できないと強硬な態度を持し遂に参加を取止めた事実をフィンランドの地元紙は“国府は初の敗北者なり”と評していた。 ─(アサヒスポーツ臨時増刊・オリンピック画報より、画像も)



壮観な開会式。聖火リレーの最終点火者は、フィンランドの英雄パーヴォ・ヌルミ



宿舎前でのソ連選手団



陸上・男子100mの接戦。左2人目から3着ベイリー(英)、4着スミス(米)、優勝者レミギノ(米)、2着マッケンレー(ジャマイカ)



三段跳に16m22の世界新記録で優勝したアデマール・ダ・シルバ(ブラジル)。陸上では24もの世界新記録(最高記録含む)が生まれ、オリンピック記録にいたっては33種目中27種目で更新された



“跳躍日本”の面目を保ち、沢田文吉が棒高跳で4m20を跳んで6位。現地に行ってから竹のポールをスチール・ポールに代えたとされる



5000mで優勝したエミール・ザトペック(先頭、チェコスロヴァキア)。10000mとのトラック2種目に加え、自身初となるマラソンでも優勝、空前絶後の快挙を達成した



世界記録を上回るペースでマラソン・ゲートを入るザトペック。一介の靴製造の職工からチェコの国宝的存在となり、軍隊でも陸軍少佐に昇進



金メダルが望まれた水泳が不振で、古橋広之進が400m自由形で8位に終わったあと、最後の期待を担って1500m自由形決勝に臨んだ橋爪四郎も終盤逆転され2位



表彰台でうなだれる橋爪。優勝したフォード・コンノは日系アメリカ人で400m自由形でも勝った



レスリングのフリースタイル・バンタム級決勝リーグでソ連のマメデコフを攻める石井庄八。この大会で日本唯一の金メダルとなった(いちばん上の画像も)



重量挙ヘヴィ級に世界新記録で優勝したアメリカのデーヴィス



愛馬ユーリス号を駆って練習する喜多井利明。馬術はこの大会から軍人以外の男女の参加が認められた



サッカーの3位決定戦、スウェーデンの猛攻を西ドイツのゴールキーパーがパンチで防ぐ。優勝はハンガリー


先週の記事「枯葉剤をめぐる因果」で、原子爆弾を落とされたわが国で原子力予算を初めて通した中曽根康弘に対して、「現在の視点から正義だ悪だと単純に割り切れない」と、やや矛先が鈍ったのは、この本を入手して見ていたところだったので。
いや競技そのものは、今より牧歌的かもしれないが、選手を取り巻く国際情勢は段違いに殺伐として。ついこないだまで食うか食われるかと戦っていて、この時点でも中国はもちろんソ連とも国交を結んでいない。その中国で、アテネ五輪の110mハードルの優勝者・劉翔が、上海市の共産党青年団幹部に任命されたというニュースが、朝刊に載っていた。市民からは「汚職まみれの公務員の悪習に染まってしまう」との懸念の声が出ていると聞くが、少なくとも中国共産党の指導層の念頭からは、いまだ分断国家という現実が去っていないのでしょう。
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