マガジンひとり

自分なりの記録

出久根達郎さん講演「本の数だけ学校がある」

2011-03-27 21:42:57 | Bibliomania
@月島・相生の里8階デイサービス(3月27日)
古書店主にして作家の出久根達郎さんに、月島の古書店での修業時代をはじめ、本との付き合いをたっぷり語っていただく。地震や津波にちなんだ話題も。
出久根達郎(でくねたつろう)─1944年、茨城県生まれ。中学卒業後、月島の古書店〈文雅堂書店〉に勤めたのち、1973年、高円寺で芳雅堂書店を開く。1993年、『佃 島ふたり書房』で直木賞を受賞。著書に『古本綺譚』『二十歳のあとさき』『御書物同心日記』『おんな飛脚人』など多数。(↑会場からの眺望)



3月11日の地震・津波に続いて、12日の原発事故のあたりから民放のテレビを見ていない。恐怖をあおるような発言とか、自分たちを棚に上げて政府・東京電力の責任を追及する声なんて、聞きたくない、見たくない。
NHKテレビのニュース等も少しは見るが、情報はもっぱら東京新聞とNHKラジオから。ラジオには癒される。天皇陛下のお言葉も、ラジオで聞いて大泣き、勇気づけられた。
この難局にあって、過去にもさまざまな困難を経て生き抜いてきたであろう年長者の言葉に助けられる。イベントに出かけるのはどうかとも思ったが、同じように感じている人も来場するのではと、予約して参加。
オラは文藝春秋が嫌いだが、辺見庸さんや出久根さんのような良識派に、賞を与えることで、その言葉を世の中に広める基盤を築いたとすれば、人材バンクとして一定の役割は果たしているといえよう。
きょうの出久根さんの言葉─「津波(TSUNAMI)」という言葉は全世界の共通語になっているが、この言葉を最も初期に世界に紹介したとされるのが小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「生き神(A Living God)」という物語である。
庄屋の機転で多くの村人が高台に避難して津波から逃れることができた─との話は、1854年の安政南海地震の際、村一番の金持ちである銚子の醤油商人・濱口梧陵(はまぐちごりょう)が、大量の藁に火をつけて高台への避難路を示し、村人の命を救った史実に基づく。さらに彼は、私財を投じて大きな堤防を築き、再び来るであろう津波災害に備えた。また政治家としても、明治新政府で郵便事業の立ち上げに携わるなどし、勝海舟とも親交が深かった。
勝海舟といえば、ハッタリ屋の成り上がりとして当時から政敵に攻撃されたが、貧しい生い立ちから熱心に勉強して重臣・政治家となり、後年にもいっさい私腹を肥やすような行動をとらなかったことは最大限評価されるべき。
貧乏時代の勝海舟が、蘭学などを学ぶのに支援を惜しまなかったのが、函館の回船問屋で、やはり資産家の渋田利右衛門(しぶたりえもん)である。彼は、海舟との出会いで200両もの大金を差し出し、「本代にしろ」と。海舟が固辞すると、「あなたが珍しい書物を買ってお読みになり、そのあとで私に送ってくれればよい。さらに面白い蘭書があったら翻訳して送ってくれればよい。その筆耕料も含んでの200両です」と説得して収めさせた。蔵書を公開することもしており、函館の図書館の祖とされるほか、海舟に濱口梧陵を紹介したのも彼である。
そうした人びとは自らを誇らず、自伝など書かないので、歴史の中に埋もれているが、明治維新が成し遂げられるのを、勝海舟や坂本龍馬といった著名な大立者の影となって支えた功労者と呼べるだろう。
やや話は飛ぶが、美智子皇后が2002年、スイスで行われた国際児童図書評議会(IBBY)創立50周年記念大会で英語でスピーチした際、竹内てるよという女性詩人の詩から「生まれて何も知らぬ 吾が子の頬に 母よ 絶望の涙を落とすな」という言葉を引用したことが、この未曽有の難局にあたって思い出される。竹内てるよは、戦前はアナーキズム詩人として知られ、霊能者としても活動した人で、彼女の主宰する詩の雑誌に、若き日の美智子さまも投稿したそうだが、私(出久根)の見方では、美智子さまが民間から皇太子妃となって、宮中でいじめられて孤立無援で子育て中に、そうした詩の世界に心の慰めを見いだしていたのではないか。
私も本屋を志したのには、子どもの頃、ある本屋の店主がお客さんから「あの(長時間立ち読みしている)汚い子どもたちを追い出してくれ」と言われて、「いいえ、あの子たちは将来のお客さんですから」と答えたのを聞き、感銘を受けたことに由来する。そして、新本屋は忙しいので、ヒマで本を読んでいられる、本を読まなければ売ったり買ったり値段を付けることもできない古本屋になろうと─。

─といったような。これらは、正確に記憶したものでなく、部分的に覚えていたのをネットで検索してまとめたものです。便利な世の中。aicezukiくんが頼る気持ちも分かる。
肉声しかなかった時代から、本の時代、本と電波の時代、そして本と電波とインターネットの時代へ。言葉を伝える手段は飛躍的に利便性を増した。オラの親は「本を踏むな!!」とオラに教えたものだが、昨今の新本屋は、たたきつけて踏みにじりたいような本ばかりになっているのも事実。しかし、やはり、言葉を発する側の責任が最も問われる、証拠物件として後世に伝える価値があるのは、本に書かれた言葉ではないでしょうか。



↑取捨選択を繰り返し、どんな古本屋にも負けない理想の本棚を目指す『マガジンひとり文庫』より、復刊新潮文庫と、角川文庫の一部。

2番目の画像『一箱古本市』は、4月30日(土)と5月3日(火・祝)に不忍ブックストリートで開催予定。詳細はブログ『しのばずくん便り』まで。そのほか、避難所で暮らす被災者の方々に、心の慰めとして、一方的な押し付けにならずに本を送ることができないかを話し合う会も4月2日(土)午後2時に墨田区東向島の寺島集会所で。問い合わせは呼びかけ人の編集者・豊永郁代さんのメルアド(ikuyo.toyonaga@gmail.com)まで。
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