マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

さらばパタリロ

2011-02-13 23:50:24 | マンガ
パソコンが壊れて使えなかった6日間ほど、テレビを見るとか、大長編のマンガ本を読み返すとか、旧来の娯楽に戻ってみたことは既に述べたが、いまさら─という感はぬぐえない。
ことに、まったく聞かなくなっていた深夜ラジオを、月曜の伊集院光の放送を、2時間ほぼ丸ごと聞いて、笑えるところが1ヵ所もなし。
まあ、たまたま不調の週だったのかもしれないんだけどね。お笑いを、ずっと、長く続けるということは、たいへんなことでしょう。短期で燃え尽きた芸人を、マンガ家を、おおぜい見てきた。
しかし読み返したマンガ本というのは、『うる星やつら』と『パタリロ!』という、それぞれ宇宙や時間旅行を題材とするSFものから時代劇まで、なんでも取り込みながら長期間にわたって続いたものである。
始まった時期も共通で、オラの高校・社会人生活にうるおいを与えてくれたものの、やがて単行本を買わなくなり、27歳で親元を離れる引っ越しの際、『うる星~』は最初の4巻だけ残し、『パタリロ』はすべて売り払った。
マンガ本の保存は、引っ越しのたびに頭痛の種である。
いまの住居に落ち着き、会社を辞めてから、あらためて両者とも文庫版で初期の巻を集めたものの、やはり最初のコミックスで見たく思い、ことにパタリロは収録の順番が違っていたり、削られた話があるのでね、ヤフオクでうる星は全巻、パタリロは最初の9巻を買いました。



で、読み返してみると、うる星も、竜之介が出てくるあたりからアクション要素が増すなど、子どもではない読者にはややつらいが、正直、毎週の連載としては驚くほどの水準の高さを最終回まで保つのに対し、パタリロはかなり落ちる。うる星の登場人物は、危険な目に遭っても死なない、それはそれでぬるいお約束だけれども、パタリロは、人が死ぬ話が多いなァ~
それも、悪人が死ぬのはともかく、「マリネラの吸血鬼」の老婆や、「めずらしい純白の花が咲く」の綿菓子頭といった、善良な登場人物も、作劇上の都合だかなんだか、やたらと死ぬいっぽう、もちろん主要な登場人物は死なないで、西遊記だの家政婦だのに姿を変えながら、今でも続いてるらしい。パタリロは年をとらないが、ファンの読者は、みなおばさんだ。女の高橋留美子が少年誌を舞台に活躍することは、マンガの世界では無差別級でチャンピオンになるのに等しいけれども、男の魔夜峰央が少女マンガ誌でいつまでも続けることは、わけわからぬカルト宗教に近いともいえよう。↑画像で「少年愛の美学を追求するんだとかおっしゃって…」と言われたバンコランは、次のコマで「やめておけ、ブタがポークハムの追求をするようなものだ」とパタリロに告げるのだが、ぜんぜんうまいこと言えてないよなァ… 駄ジャレがやたらと多かったり、先行した『がきデカ』『マカロニほうれん荘』からの(表現上の)パクリが目立つことからも、根本的には、ユーモア感覚に乏しい人なのではないだろうか。



笑いを職業としているにもかかわらず、外部の人の目には、面白さが伝わりにくい。符牒が通じる、インサイダーだけを相手にお笑い稼業。落語家みたいだ。
そう、伝統芸能というか、「型」なんだよ。様式美。バンコランの顔の絵でも、左を向いているとき、アゴの線と口の位置関係がおかしいでしょう。デッサン的に。怪奇や耽美的な題材を好み、白と黒のくっきり別れた絵柄には↓画像のビアズリーの影響がうかがえ、ビアズリー自体も浮世絵など日本画に影響されたというので、一種の先祖返りだとも考えられる。
ただ、ほかの、映画的に動きを感じさせるよう、表現方法を研ぎ澄ませてきたマンガたちの中にあって、パタリロの、動きの止まった絵、それでもどうにかお笑いへ持っていこうとあれこれ試みる初期の巻には、独特の面白さがあることは確かです。たしか13巻か14巻あたりに収められた、パタリロお得意の時間旅行で、若き日のバンコランのもとへ訪れる「霧のロンドン・エアポート」など、かなりの力作といえましょう。
今回をもって、弊ブログでパタリロをあつかうのは最後といたしますが、初期の単行本はこれからも保存するつもりです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする