マガジンひとり

自分なりの記録

SANDY SKOGLUND (サンディ・スコグランド)

2010-01-10 21:59:02 | Bibliomania
A Breeze at Work, 1987

ずいぶん前からビートたけしという人は、人を笑わせられるようなおもしろいことを言うことはできなくなっている。お笑い芸人としては、終わった存在。それなのに今も司会などでテレビに出ずっぱりでいられるのは、やはり北野武として高名な映画監督であることがものを言っているのだろう。
でも、映画監督ってのは、よくよく考えてみれば「山師か政治家」のような存在。興行という側面、あるいは資金調達して製作できるかどうかにかかっている。それにはなにより人脈と金脈。「芸術的才能」などは二の次なのだが、そもそも彼にそれがあるだろうか。誰でもピカソになれるはずもなく、自分で描いた絵を映画で見せびらかしているが、どう見ても素人レベルだ。
忘れてはいけない。『ザ・ベストテン』が価値であった時代には、彼は自分のオールナイトニッポンのリスナーにリクエスト葉書を大量に書かせるとか、化粧品のCMソングを歌うとかのさまざまな手段を弄して、どうしても音楽で認められようと。音楽の才能など完全に無いのに。ほかにも役者として、本書きとして、ピアノを弾いたり、ピアノを教えてくれる女を愛人としてそのために出版社を襲撃したり、どれをとっても単独で世に出られる水準ではない。まずお笑い芸人であってこそ。そうして、あれこれ試みて、人脈と金脈を固めたうえで、ようやくたどり着いたのが「映画監督」というわけ。王さまは裸だったんです。
芸術家ってのは、違うんじゃないかな。富とか名誉とか権力のためだけじゃない、極端な話、世界中の誰にも認められなくても、絵が1枚も売れないとしても自分の理想を貫いて、死後に新しい時代が来てようやく価値が認められるような、そういうことを「芸術」って言うんじゃないか。
写真家なんてのも疑問。篠山紀信の写真って、篠山紀信の技量そのものよりも、その被写体を撮るのを実現できたことに価値があるんだべ。人脈と金脈。若い学生のほうが才能あって、同じ被写体でも、もっとグッとくる写真を撮れるかもしれないが、彼らには人脈と金脈がない。しかし、写真家のすべてがそんなふうでもない。被写体よりも、その作風にグッとくることもある。きょうの女性写真家さん。CGじゃないんです。多くの場合、自ら造形して、セットを配置して、面倒くさそうだが、できあがった写真はほかの誰でもない、この人独特の世界。昔たしかインスパイラル・カーペッツっていうバンドのCDジャケに用いられたことがあって、印象に残っていた。ネット時代になってから名前を認知し、作品集が欲しかったものの、高そうな洋書しかなくあきらめかけていたところへ、先日中野ブロードウェイの初めて訪れた4階、シャッターの閉まった空き店舗も多いが、まんだらけマニア館・まんだらけ変や、などまんだらけ周辺は異様に盛り上がっており、その「まんだらけ記憶」で発見。2500円くらいまでなら買おうかなあ、と思って値札を見たら1050円で随喜。ほかにも欲しくなるものがあり、値段よりも重たいので何冊も買えなかったが、これほどポテンシャルを感じた古本屋は近年記憶にない。



【Sandy Skoglund (サンディ・スコグランド)】
1946年、マサチューセッツ州クインシー生まれ。アメリカの女性写真家でインスタレーション・アーティスト。何ヵ月もかけて精巧なセットを作り、色のついた家具を置き、俳優を配し、たくさんのモノクロームまたは対立色の物体(動物あるいは植物など)を配置して撮影を行って、シュールなイメージを視覚化する独特のスタイルで知られる。
彼女は幼いころポリオを患い、いまも左腕に軽い障害が残る。スミス・カレッジで美術史とスタジオアートを学び、1967年にはパリに留学してソルボンヌ大学でも学んだ。1972年からニューヨークでアート活動を始め、1978年には食品を用いた反復的なイメージの写真を撮るようになる。やがてそれが発展し、彩色やセット配置も大がかりとなって、特に「Radioactive Cats」は彼女の名を高めた。1986年から開始した『True Fiction』シリーズは、コダック社が彼女の用いる染料を製造しなくなったことから完結できなかったが、同様のコンセプトに基づく『True Fiction Two』シリーズは、工程をデジタル化することなどによって最近完結したという。彼女はラトガース大学の教授も務めており、現在まで写真、インスタレーション、マルチメディアについて教えている。



Cookies on a Plate, 1978



Radioactive Cats, 1980



The Cocktail Party, 1992



The Wedding, 1994
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