マガジンひとり

自分なりの記録

『チェ39歳 別れの手紙』

2009-02-07 20:32:12 | 映画(映画館)
Che Part Two@有楽町・日劇PLEX, スティーヴン・ソダーバーグ監督(2008年スペイン=フランス=アメリカ)
「キューバ革命」を奇跡的成功へ導いたチェ・ゲバラ(ベニチオ・デル・トロ)は、1965年3月、忽然とその姿を消した。突然の失踪にさまざまな憶測が飛び交う中、盟友カストロが、ゲバラの残した“別れの手紙”を公表する。
「今、世界の他の国々が、わたしのささやかな助力を求めている。君はキューバの責任者だからできないが、わたしにはできる。別れの時が来たのだ―」
仲間や家族に別れを告げたチェ・ゲバラは、独裁政権下にあるボリビアの地に潜伏していた。彼の革命の旅は、キューバだけでは終わっていなかったのだ。南米大陸の自由―。それが彼の夢見た未来だった。
しかし、この新たな革命戦争は、ボリビア共産党の協力が断たれたことで、急速に迷走していく。アメリカの大々的な支援を受けるボリビア軍と、地元民に裏切られて食料も医薬品も、武器や弾薬さえ尽きかけた、あまりにも無力な革命軍。
「革命には、勝利か、死しかない。」
真実への情熱に導かれ、愛こそが人間を救うと信じ、夢と理想に向かって戦い続けた男の「革命の道程」が、終わりを迎えようとしていた―。



レイディース&ジェントルメン!「円天・あかり」とさまざまに集金しまくってパンクしたL&G波和二(なみかずつぎ)なる男、逮捕当日まで朝から酒かっくらってたそうな。人の金は俺の金!俺の金は俺の金!その人相たるや「麻原彰晃と秋元康のちょうど中間」。その行動原理も麻原彰晃と秋元康のちょうど中間。わかりやすい詐欺師ですこと。だまされるほうもどうなんでしょ。「川の流れのように」はいい歌だ、とか思ってる人はオレオレ詐欺・投資詐欺の類に引っかからないようご注意遊べ。
浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ 考えてしまいますだ。イヤフォンで音楽など聴きながら街を歩く。そのこと自体が《自分さえよければいい》と暗に言っている。私利私欲。自分はチェ・ゲバラよりも波和二に近い人間なのであろうか。権力の不正を廃し、万人が機会均等に幸福を追求し、平和に暮すことのできる社会は、いったいいつ到来するのか。前編の『チェ 28歳の革命』でゲバラは、無名の兵士の士気が勝敗を決するとして、新しく組織化した無学な若者への教育を熱心に行う。印象に残るのは、農家の娘を強姦した脱走兵を処刑することを、彼が容赦なく決断するシーン。私利私欲を追う者を放置すると、全体を腐らせてしまう結果を招くことを心得ていたのであろう。
そんなチェ・ゲバラにも、新たな闘争の地となったボリビアはあまりに過酷。ボリビア共産党の支援を得られなかったこともあるし、山岳地帯が多くてキューバより人口密度が低く、人びとがぜんぜん社会化されてない。もちろん読み書きもできない彼らは独裁政権下で苦しい日々であっても、ゲバラの熱い言葉にいったんは耳を貸すがすぐになんとなく因習に閉ざされ旧弊な暮らしへ戻ってしまう。
怖ろしいのは、物質文明も情報化も行き着くところまで達してる現代にっぽんにも、まったく同じ状況が見られる。映画『闇の子供たち』は「ベニスに死す計画」の22才の彼と見たので、後ほど別の監督が映画をほめてる新聞記事を切り抜いて彼に読ませたところ「むずかしいですね…」。彼に限った話でなく、あるNPO団体が主催する、格差社会についての討論イベントでも、議員・学者・新聞記者ら「大人」側代表がわりと意識的にわかりやすく話してるつもりでも、「若者」側代表の学生やフリーターは「議論がかみ合っていない。(大人側の話は)言葉が難しくわからない」と。会場の若者たちもほぼ同調の様子。1970年代までは残滓としてあった社会主義・共産主義の理念のもとでは、世の中の人びとを平均化するとともに、平均値を引き上げるというベクトルも同時に存在していた。“悪平等”ではない。それがいつの間にやら、私利私欲を追い求めることが奨励され、そのためには全体のレベルを下げたほうが自分に有利、のような価値観が支配的になってしまった。原因はひとつでない。いろいろなことが連関してる。田原俊彦の「哀愁でいと」からこのかた、歴史は確かに前進をやめた。

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