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家庭画報 1月号

2013-01-07 | ア-トな話し
昨年 マウリッツハイス美術館展 神戸市立博物館のブログにkokumiさんから

家庭画報もフェルメールの話題でした。とコメントを頂き、日頃読む機会の少ない家庭画報を買って読みました。
2013年1月号です。注意-今現在は2月号販売中です。



特集は「フェルメールの秘密に出逢う」。随筆家・有吉玉青さんがフェルメール絵画に込められた謎を解き明かすために、ロンドン、エディンバラ、そして、ダブリンへ。フェルメールファン必見の名画紀行です!

そして
随筆家 有吉玉青さんの本も買いました。


恋するフェルメール 37作品への旅 (講談社文庫)

有吉玉青さんは、全然知らなかったが、和歌山県が生んだ作家 有吉佐和子さんの娘さん。
「紀ノ川」は、ここに読書感想文を載せています

フェルメールと故郷・和歌山が繋がった--そんなことはないですよね(笑)。
小生のフェルメールコーナーは、こちらフェルメールの魅力

そして、おまけの話・・・

家庭画報オリジナル 安西水丸版「家族で楽しむ 新春いろはかるた」

イラストレータの安西水丸さんが、“犬棒かるた”をテーマに、全48点の絵札を家庭画報のために描き下ろしたものです


かるたをする訳でもなく見ていて、大発見です。



この絵札の読み札は

「良薬は口に苦し」です。

かるたファンには常識かも知れませんが


良薬(れうやく)は口に苦し なんと「れ」です


慣用仮名遣いの「れうやく」、「れ」の札だったが(字音仮名遣いでは「りやうやく」)、現代仮名遣いの「りょうやく」、「り」の札に配置変更され、元の「り」の札、「律義者の子だくさん」が不採用となったこともある。こういった時代に合わせた変化については賛否両論となっている。このかるたは「り」は、「律義者の子だくさん」でした。

いろは かるた 奥が深いようです。

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生誕120年記念 川口軌外の歩み展 和歌山県立近代美術館

2013-01-07 | ア-トな話し
2012年11月10日~2013年1月14日

和歌山県立近代美術館からの和歌山城

ここからの景色はお気に入りです。

和歌山、故郷の画家と言ってもいろんな方が居られます。知らない人も一杯です。
2011年には、特別展 川端龍子と和歌山 -120年の絆-を観ました。




「少女と貝殻」1934年


川口軌外 ( かわぐち きがい)  略歴です

明治25年(1892)、有田郡御霊村(現:有田川町)に生まれる。本名は孫太郎、軌外と号した。幼いときから絵を描くのが好きで、15歳のころから本格的に水彩画を描き始めた。明治45年(1912)、19歳で画家を志して上京し太平洋画会研究所、日本美術院洋画部に学んだ後、安井曾太郎に個人的な指導を受ける。大正5年(1916)に友人と和歌山市で南紀洋画展を開催、翌年第4回二科展に《静物》が初入選する。大正8年(1919)フランスに渡り、大正12年(1923)に一時帰国して、妻子を連れて再度渡仏する。パリでは、アンドレ・ロートやフェルナン・レジェに学び、フォーヴィスム、キュビスムなど新しく登場した様式を積極的に吸収、また、マルク・シャガールを訪問して影響を受けた。さらに、里見勝蔵、佐伯祐三、小島善太郎、前田寛治、中山巍らと親交を結び、これが後に「1930年協会」や「独立美術協会」での活動につながる。 パリ郊外にアトリエを建て永住も考えたが、昭和4年(1929)に帰国、その後、鮮やかな色彩で、幻想的な情景を大きな画面に展開して、独立美術協会の中心的な作家として活躍する。 第二次世界大戦後は、抽象的な作風を開拓し、戦後再編されたエコール・ド・パリやアンフォルメルなど、新しい表現も積極的に取り入れて、常に実験的な姿勢で制作を続けた。日本とヨーロッパの文化に対する深い理解を根底に持ちながら、常に新たな表現を取り入れ制作に打ち込み、昭和41年(1966)73歳で亡くなった。

フォーヴィスム、キュビスムの影響を受けた作品です。会場内には他にたくさんの作品がありました。

水差しのある静物 1925年

写像 1927年

誰かの作品に似てる? そんな感じもしますね。いろんな人の・・・
いろんな人の影響を受けたのでしょうね。
たくさんの作品が展示されていました。

1階では、コレクション展2012/13 冬 2012/12/4から2013/2/24も開催されていました。
佐伯祐三の作品が8点も展示されています。
これもいいですね。

同じ会場で郷土が生んだ彫刻家 建畠大夢の


没後70年 建畠大夢展が開催されてました。



建畠大夢《感に打たれた女》1932年

建畠大夢(たてはた・たいむ/1880-1942)は、和歌山県有田郡城山村(現在の有田川町)に生まれました。京都市立美術工芸学校から東京美術学校彫刻選科に進みますが、美校在学中の1908(明治41)年に開かれた第2回文展に初入選し、文部省買上となって、華々しくデビューします。のちには帝展などで審査員をつとめ、また母校の教授として後進を指導し、朝倉文夫、北村西望とともに戦前戦中期の彫刻界で重きをなした。

入場料500円ながら、見どころたっぷりの展覧会でした

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