高島屋 大阪 1月18日 → 2月5日
山本高樹は、連続テレビ小説「梅ちゃん先生」のオープニングタイトルのジオラマを制作し注目を集めた
友人の細川君のメールで、ぜひ一度行って下さいということで、出かけました。
「梅ちゃん先生」のオープニングタイトルのジオラマです。懐かしいですね。SMAPの「さかさまの空」が聞こえそうです。
ジオラマでは左側には線路もあり、列車もありました。曜日ごとに少しづつ変わっていましたよね。
『梅ちゃん先生』は、2012年(平成24年度)上半期に、NHKの総合テレビジョンで放送されていた連続テレビ小説。
第二次世界大戦末期の空襲(京浜空襲)により焦土となった東京都蒲田区(1947年より大田区蒲田)を物語の出発点とし、3人兄妹の末っ子・下村梅子が、学制改革前の旧制医学専門学校である城南女子医学専門学校(東邦大学医学部医学科の前身である『帝国女子医学薬学専門学校』がモデル)に進学、様々な経験を経た後に町医者となり、地域の人たちと支え合いながら戦後占領期から高度経済成長期を生きていくという物語である。ヒロインは堀北真希。毎朝の楽しみでした。
ジオラマ (仏:diorama) は、展示物とその周辺環境・背景を立体的に表現する方法で、博物館展示方法の一つである。
「ジオラマ」は明治時代に入ってきたフランス語由来の外来語であり、国語辞書にも掲載されている一般的な言葉である。
山本高樹氏は、昭和の街並みと、そこに住まう人々をテーマにした作品を作り続ける、ジオラマ作家として知られています。単にモチーフを縮小しただけでなく、時代の味わいや空気感を凝縮した作風が高い評価を得ています。
最新作をはじめこれまでに制作したジオラマを一堂に展覧。 懐かしくてあたたかみのある、レトロな世界です。
東京地区が多いので残念ですが、通天閣もひとつありました。通行人の中に、「くいだおれ人形」がありました。大阪の人には違和感がありますね。--通天閣の通りのどこかにあるのかな-今度注意して探してみます(笑)
平成も25年になりましたが、人生の大部分が「昭和」だという人は多いと思います。
昭和20年代生まれの人は「昭和」が約40年、平成は、わずか25年。そう考えると・・・まだまだ昭和ですね。
凌雲閣(りょううんかく)は、明治期から大正末期まで東京・浅草にあった12階建ての塔。名称は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味する。12階建てだったので「浅草十二階」とも呼ばれた。関東大震災で半壊し、解体された。
会場内は撮影禁止なので、写真は江戸東京博物館の展示です
江戸東京博物館
昭和・メモリアル「与 勇輝」展のことを思い出しました
そこには昭和があった。
*ポチッとクリックし、投票していただけると嬉しいです。*
山本高樹は、連続テレビ小説「梅ちゃん先生」のオープニングタイトルのジオラマを制作し注目を集めた
友人の細川君のメールで、ぜひ一度行って下さいということで、出かけました。
「梅ちゃん先生」のオープニングタイトルのジオラマです。懐かしいですね。SMAPの「さかさまの空」が聞こえそうです。
ジオラマでは左側には線路もあり、列車もありました。曜日ごとに少しづつ変わっていましたよね。
『梅ちゃん先生』は、2012年(平成24年度)上半期に、NHKの総合テレビジョンで放送されていた連続テレビ小説。
第二次世界大戦末期の空襲(京浜空襲)により焦土となった東京都蒲田区(1947年より大田区蒲田)を物語の出発点とし、3人兄妹の末っ子・下村梅子が、学制改革前の旧制医学専門学校である城南女子医学専門学校(東邦大学医学部医学科の前身である『帝国女子医学薬学専門学校』がモデル)に進学、様々な経験を経た後に町医者となり、地域の人たちと支え合いながら戦後占領期から高度経済成長期を生きていくという物語である。ヒロインは堀北真希。毎朝の楽しみでした。
ジオラマ (仏:diorama) は、展示物とその周辺環境・背景を立体的に表現する方法で、博物館展示方法の一つである。
「ジオラマ」は明治時代に入ってきたフランス語由来の外来語であり、国語辞書にも掲載されている一般的な言葉である。
山本高樹氏は、昭和の街並みと、そこに住まう人々をテーマにした作品を作り続ける、ジオラマ作家として知られています。単にモチーフを縮小しただけでなく、時代の味わいや空気感を凝縮した作風が高い評価を得ています。
最新作をはじめこれまでに制作したジオラマを一堂に展覧。 懐かしくてあたたかみのある、レトロな世界です。
東京地区が多いので残念ですが、通天閣もひとつありました。通行人の中に、「くいだおれ人形」がありました。大阪の人には違和感がありますね。--通天閣の通りのどこかにあるのかな-今度注意して探してみます(笑)
平成も25年になりましたが、人生の大部分が「昭和」だという人は多いと思います。
昭和20年代生まれの人は「昭和」が約40年、平成は、わずか25年。そう考えると・・・まだまだ昭和ですね。
凌雲閣(りょううんかく)は、明治期から大正末期まで東京・浅草にあった12階建ての塔。名称は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味する。12階建てだったので「浅草十二階」とも呼ばれた。関東大震災で半壊し、解体された。
会場内は撮影禁止なので、写真は江戸東京博物館の展示です
江戸東京博物館
昭和・メモリアル「与 勇輝」展のことを思い出しました
そこには昭和があった。
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