湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

自然農法は木が丈夫・・・奇跡のリンゴ32

2009-01-11 17:26:05 | Weblog
1991年の秋、青森県を台風だ直撃し
リンゴ農家は壊滅的被害を受けました

大半のリンゴが落果しただけでなく
リンゴの木そのものが風で倒れるという被害まで出たのです
青森県内だけで、被害額は742億円にもぼるほどでした

ところが、木村秋則氏のりんご畑の被害は軽いものでした
他の畑から、リンゴの木が吹き飛ばされて来たほどの強風を受けたのに
8割以上のリンゴの実が枝に残りました
リンゴの木は揺るぎもしませんでした

木村氏の育てたリンゴの木は
他のリンゴの木に較べて、はるかに丈夫な根をつけていました
そればかりか、実と枝をつなぐ軸の部分が
他のリンゴよりもずっと丈夫だったのです

木村氏のリンゴ畑は、年々変化していきました
害虫が毎年減り続け
2000年には、とうとうハマキムシとシャクトリムシが消えました

農薬無しで害虫の発生を抑えられた理由を
木村氏は、余計な栄養分が無いことだと考えています

自然農法を実践するなかで、木村氏が発見したことは
肥料というものは、化学肥料であれ有機肥料であれ
木に余分な栄養を与えることになり
害虫を集める原因になることです

ろくに運動もせず、食べ物だけを与えて子供を育てれば
大きくなるかもしれませんが、病気に罹りやすい
弱い子供になってしまうのと同じことです
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周囲の協力・・・奇跡のリンゴ31

2009-01-10 17:13:08 | Weblog
木村氏の偉業を支えたものは、木村氏の不屈の精神でした

それは間違いありません、しかしそれだけではありません
キャバレーオーナーやホステスさん達だけでなく
じつに多くの人が、木村氏を応援していたのです

ある隣地のリンゴ農家は
他のリンゴ畑から木村氏のリンゴ畑に害虫が集まって来るのを確認すると
積極的に木村氏を擁護し、周囲を説得してくれました

そして、なんと!
木村氏のリンゴ畑との境界近くのリンゴの木を伐採してしまったのです
木村氏のリンゴの木に農薬がかかるのを防ぐために・・・

自動車関連の会社を経営する太田昭雄氏は
まわりから人のいなくなった木村氏と、変わりなく友人として接し
電気と電話の料金を立て替えていました

銀行と消費者金融は
返せる当てのない木村氏に、お金を貸し続けました

銀行の担当者は
木村氏が返しに行ったお金を

「これを返済にまわしたら、生活できないだろう」

と言って、受け取りませんでした・・・それどころか

「10年後には、あなたの時代が来るよ」

と言って、木村氏を励ますのでした

消費者金融の店長は

「どうしても駄目なら、オレが立て替えようと思っていたんだ」

と、話しています



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テレビ放映で注文殺到・・・奇跡のリンゴ30

2009-01-09 19:14:24 | Weblog
木村氏がキャバレーのアルバイトを辞めたのは
無農薬・無肥料・無堆肥によるリンゴ栽培が何とか軌道に乗り
どうやって販路を拓こうかと思案している時期でした

その頃、NHKは「忍び寄る農薬汚染」という番組のために
木村氏を取材しました
リンゴ農家で自然栽培をしているのは木村氏だけだったからです

その番組は、その後何度も再放送されました
木村氏は、あまりテレビを観ませんから
そのことに無頓着でした

きっとその日、もしくはその前日
木村氏を取材した番組が再放送されたのでしょう
木村氏が忘れ物を取りに自宅に帰ったところ
電話が鳴り続けていたのです

当時の木村氏には借金がありましたから
正直なところ、電話に出たくはなかったのです
あまりにしつこくかかってくるので、しかたなく受話器を取りました

「テレビで見た、どうしてもあなたのリンゴがほしい」

・・・という内容でした

送り先を聞いて、受話器を置くと、またベルが鳴ります
それが夜中の11時まで続きました
翌日は、家族皆が畑に行かず、電話対応に追われました
その時、注文してくれたお客さんの数は約350人にのぼりました

その後、口コミ等で広がり
現在では、2700人以上の人々が
定期的に個人取引をするようになっています

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キャバレー勤め・・・奇跡のリンゴ29

2009-01-08 12:45:04 | Weblog
キャバレー勤めは、パチンコと同様
木村氏にとって、それまでは無縁の世界でした
仕事に慣れるまでは、時間もかかりました

しかしキャバレーオーナーをはじめ
ホステスさんなどは人情が深く、木村氏に暖かく接してくれました
木村氏のことを”お父さん”と呼び
木村氏の無農薬リンゴ栽培のことを”頑張って”と応援してくれるのでした
食事も満足にとらない、やせた木村氏を見て
交代で弁当を作ってきてくれたりしました

トイレ掃除にはじまり
グラス運び、客の少ない日は外で客引きをやり
やがて店の経理も任されるようになりました

仕事に慣れたとはいえ
繁華街で呼び込み中、歩いてくる知り合いの顔を見て
恥ずかしくて、物陰に隠れたことなどもありました

この職場を、木村氏は1年8ヶ月勤めて辞めました

きっかけは、地回りとのトラブルでした
木村氏の勤めるキャバレーは、この地回りに上納金を納めていませんでした
その地回りにうっかり声を掛けてしまったのです

物陰に連れ込まれ、顔を殴られ、前歯を折られてしまいました

なんとか逃げて、店の前まで来るとパトカーが2台止まっていました
警察は血だらけの木村氏におかまいなく、容疑者の顔写真を見せます
犯人はすぐに特定できましたが、木村氏は被害届を出しませんでした
警察は犯人を呼び出すことはしましたが、事件にはできませんでした

地回りは2度ほど謝りに来て
その後、木村氏は親分と一杯飲み、手打ちということになりました

これをきっかけに、木村氏はキャバレー務めを辞めたのです

キャバレーの支配人は
怪我が治ったら戻ってくれないかと、何度もたのみに来ました
木村氏は、きちんと断るために店に挨拶に行きました

木村氏の決意が固いのを知ると、支配人は退職金をくれました
封筒には50万円が入っていました
その50万円も、税金の滞納分を支払うと、ほとんど残りませんでした
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アルバイト・・・奇跡のリンゴ28

2009-01-07 11:15:00 | Weblog
9年目にして花を咲かせてくれたリンゴの木
普通なら、実を大きくするための摘花・摘果をしなければいけません
しかし木村夫妻は、もったいなくて、その作業ができませんでした

畑のすべての木が花を咲かせたわけではなく
多少なりとも害虫による被害もあったため
収穫は一般のリンゴ園の15%ほどでした

一つ一つの果実もまだ小粒だったため
すべて加工用として出荷しました
加工用のリンゴはコンテナ1杯200円、全部で1万円そこそこでした
それでも9年ぶりの収入でした

木村家の経済的苦境はかわりません

木村氏はアルバイトに精を出すことにしました
はじめからアルバイトをしていれば
家族をここまで苦しめることはなかったかもしれません
しかし木村氏は”答え”を見つけるまでは
全身全霊をリンゴ作りに傾けるしかなかったのです
”答え”を見つけて、はじめてアルバイトをする心の余裕ができたのです

最初に勤めたのは、弘前市内のパチンコ店でした
それまでパチンコはやったことがありませんでした
農作業を終えた18時から22時まで、毎日出勤しました
なんとか仕事にも慣れ8ヶ月が過ぎたある日
風邪をひいて2日休むと解雇されてしまいました

パチンコ店の次は、弘前市内の盛り場のキャバレーに勤めました
新聞の求人欄に職種が書かれておらず、面接に行くとキャバレーだったのです
昼の農作業を優先すれば、どうしても夜の仕事をせざるを得なかったのです

月給18万円保証はパチンコ店の3倍になります
多少無理をしてもやろう思い、家族には観光関係の仕事と嘘を言いました
ただし途中で、嘘はばれていたようです・・・
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9年目の開花・・・奇跡のリンゴ27

2009-01-06 11:00:00 | Weblog
木村秋則氏がリンゴの無農薬栽培を初めて9年目
リンゴ畑の土はドングリの山の土と同じ様に
ふかふかのやわらかさになっていました

木村氏は、内心、今年こそはと期待していました
しかし、辛酸をなめつづけたそれまでを思うと
不安もまた、大きいのでした

まだまだ畑には虫も多く、結果も出ていません
近隣の農家からの風当たりは相変わらずです
木村氏は他のリンゴ農家とは、顔を合わせないように行動していました

その日も、一人田んぼの作業をしていました
すると隣のリンゴ農家が、わざわざ木村氏のもとに来て

「おい木村、お前んとこのリンゴ、花が咲いてるぞ!」

と、おしえてくれたのです

思わぬ人からもたらされた朗報に
木村氏は、半信半疑のまま、急いで家に帰り
夫人とともに、畑に向かいました

畑に続く道をたどる間
木村氏は、一刻も早くこの目で確かめたい思いと
見るのが怖いという気持ちが入り交じり
足が思うように進みませんでした

隣の畑の物置小屋の影から、おそるおそろ見ると、そこには・・・

まぶしいような白さに包まれた木村氏のリンゴ畑!

・・・が、ありました

無農薬栽培を始めてから9年目の開花でした
咲き乱れる白い花の中で
木村氏と夫人は、ただ止めどなく涙を流し、立ちつくすのでした
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7つの花・・・奇跡のりんご26

2009-01-05 16:49:13 | Weblog
翌年も、木村秋則氏は大豆を播き、下草取りはしませんでした
相変わらず、ハマキムシ、シャクトリムシは暴れまわっています
しかし、リンゴの木は、見違えるほど元気になりました

時とともに、下草の種類が変わっていきました
人の背丈ほどもあった前年より、草丈が低くなっていました
これが最終的には30センチほどの高さに収まっていくのです

木村氏は
リンゴにつく虫を取りながら、変化していくりんご畑を観察し
自然界のバランスは
自然そのもののバランスによって出来上がっていくこと
人間が手を出せるのは
自然の営みがスムーズにいくための環境を整えてやることくらいしかない
・・・ということを学んだのでした

この年、葉っぱは通常の3文の1ほど残り
樹勢の回復は明らかなものと見えました

そして、翌年の夏、たった1本だけですが

7つの花を咲かせたのです!

無農薬栽培8年目にして見るリンゴの花でした

秋になると、7つの花は2個のリンゴの実となりました
ゴルフボールくらいの小さな実でした
神棚に捧げた後、家族みんなで大切に食べました
娘さん達にとって、はじめて口にした”お父さんの作ったリンゴ”でした
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大豆・・・奇跡のリンゴ25

2009-01-04 13:24:41 | Weblog
木村氏は、自分のリンゴ畑に
あの山の環境を再現することに熱中しました

大豆をまいたリンゴ畑からは雑草も生えてきます
それまでは丁寧に下草刈りをしていましたが、それもやめました
暖かくなると、リンゴの木の根元は、多様な雑草でぼうぼうとなりました
その中に大豆も生えているという状況です

お手本となる、例のドングリの木のもとには頻繁に通いました

生えている雑草を抜き、山と畑の根張りの違いを較べたり
地中に住む虫や小動物の様子を観察したり
土の温度、色、匂いを比較したり
五感をフル活用して調べたのです

しょっちゅう地面に這いつくばって
虫眼鏡を覗き、土の匂いをかいでいる木村氏を見て
周囲の人々は何と思ったことでしょう?

夏場になると、大豆は大きく伸び、日光を遮るため
雑草は生長を抑えられるようになりました
リンゴの木の下は、まるで大豆畑になりました
引き抜いてみると、大豆の根には根粒菌がびっしりと付いていました
抜いたあとの土の中には、ミミズがうねっているのが見えました

ただし、リンゴの世話をするのに、大豆は邪魔者でした
脚立を動かすのに引っかかって
虫取り作業は、たいそう骨が折れるのでした

秋に大豆を引き抜くと、根粒菌は一つもありませんでした
根粒菌が固定した窒素は、やせ衰えた土に養分として染み渡ったのです
木村氏には、リンゴの木が喜んでいるように見えました
秋まで、慣行農法の10%程度ですが、枝の先に葉っぱが残りました

木村氏は妻と義父に

「今度は何とかなりそうだ」

と報告しました

大豆は、枝豆を収穫して販売しました
値段は安かったのですが、子供達のノートや鉛筆を買うことができました
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求めていた答え・・・奇跡のリンゴ24

2009-01-03 15:13:51 | Weblog
今日で正月も3日目、そろそろ日常に還る準備をしましょう
このブログも、昨年からの続きで
「奇跡のリンゴ」に戻ります

死を決して、木村秋則氏は岩木山に登りました
その自然の中で、立派なリンゴの木を発見し、大きな啓示を受けます
ところで・・・

山中で発見したリンゴの木は
翌日、もう一度同じ場所に行って確認すると
リンゴの木ではなく、自生したドングリの木でした

しかし、木村氏の確信は揺るぎませんでした

「これが答えだ」

そこにあったのは、枯死寸前の木村氏のリンゴ畑とは対照的な光景でした

草は生え放題、伸び放題ながら
その中にあって健康そのもの
元気いっぱいに葉を繁らせているドングリの木
農薬はもちろん、肥料もなく
人の手が、いっさい入っていない環境にあって
立派に育っているその姿に圧倒されたのです

周囲を注意深く見ると
ハマキムシのような害虫は見つかりませんが
蝶やバッタ、コガネムシ、ハチ、アリといった昆虫達が
それぞれの生命をつなぐために、密やかに活動し
どこからか鳥のさえずりも聞こえてきます

そこには生命があふれ、すべてが循環していました
何ひとつ無意味な物、邪魔な物などないのです
・・・そして生態系の一部として、ドングリの木も生かされているのです
人間に管理されたリンゴ畑とは、まったく異質な光景です

これこそ、木村氏が求めていた答えだったのです
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今年の象意

2009-01-02 07:59:32 | Weblog
もう、今年も二日目になりました
皆さん、いかがお過ごしですか?

じつは昨年暮れから、我が家は全員、病に臥せているのです
昨日は、恒例の年始がありましたので
なんとか家族全員で頑張ったのですが
今日は、どうなることか・・・って感じです

12月の休みに入る時から、長男が不調を訴えていました
頭痛がするというのです
風邪だと思ったのですが、微熱程度で、いつまでも治りません
年末に医者に行き、原因がよく分からず
CTも撮ったのですが、これはまだ結果が出ていません
なんとも、気になるところです

その後、他の子供達も不調に陥り、下痢や嘔吐に苦しめられました
妻も同様の症状に陥り
私も、吐き気と下痢に悩まされました
元気に部活の通っていた長女も、30日になると
同様の症状を訴えるようになりました

昨日は親戚が集まり、楽しくやりましたから
皆、心配したような症状が出なくて、元気になりました
ただし、今日はまだ、誰も起きてきません
よほど疲れたのではないでしょうか・・・心配です

混乱の中で迎えた、我が家の平成21年の元旦でした
しかし、それでもなんとかなったのが、我が家のお正月でした

これを

「困難にめげず、皆の協力と努力で難局は切り開かれる」

という象意と捉え、今年1年を乗り切って行きたいと考えます
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