湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

渡嘉敷島集団自決

2006-08-28 19:37:04 | Weblog
昭和20年3月28日
渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が
島北部の山中の谷間で手榴弾のほか、鎌、鍬などを使い自決しました

なぜ、このようなことになったのでしょう
座間味島で先に集団自決があり、それを聞いた島民は混乱していました
沖縄には、一門で同じ墓に入ろう
どうせ死ぬなら家族みんな死のうという考えがあったそうです
いずれにしろ切羽詰った、戦場の集団心理です
今の私達には想像できません

渡嘉敷島の悲劇は、これで終わりません
もう一つの悲劇が戦後に始まるのです
敗戦後、米国支配下の沖縄の人々の生活は悲惨を極めました
米軍支配下の琉球政府に、それを救う手立てはありませんでした
本土で戦傷者戦没者遺族等援護法が施行されると
沖縄県民も対象となりました
しかしこれは、あくまで軍命令で行動した人々が対象となるもので
自発的な集団自決は援護法の対象にはならなかったのです
渡嘉敷島は貧困にあえいでいました
沖縄の担当部署の人々は泣きながらお願いしたのですが
当時の厚生省は突っぱねました
同様のケースは本土でも認めなかったからです
コメント
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