湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

幕府主導の近代化の可能性・・・歴史の考察

2017-02-01 16:28:31 | Weblog
歴史は結果でしかあり得ません
ただし、歴史に仮定を持ち込むことは
歴史の理解を深めるのに役立ちます
別の歴史があったかもしれないと考えることは
歴史を学ぶ楽しみでもあります

いわゆる「明治維新」は
かなり屈折した展開の結果なされた大変革です
明治維新を成し遂げた連中が掲げたスローガンである

「尊皇攘夷」

は、朝廷を敬い、外国勢力を排除せよということです
これを、天皇陛下の御所に向かって大砲を放った
長州が主張するのだから呆れます
彼らの作った明治政府は、伝統破壊と極端な欧化政策をとりました
何処を探したら「尊皇攘夷」の精神があったのでしょう?

井伊直弼の目指した改革は
欧米と条約を結び、近代化を進めるというものでした
そもそも、明治政府を作った連中が反対するような内容ではありません
尊皇攘夷の過激思想は、政権を取るための口実だったわけです
ただし、過激思想に踊らされた連中は、そんなことは知りませんでした
彼らは、騙され、利用され、捨てられたのです

井伊直弼は、そうした時代の犠牲者でした
日本の統一を図りながら、外国との条約を結ぶために努力しました
そのために、朝廷を最大限尊重したのですけれど
そこを、幕府の弱みであると
公家や、長州の吉田松陰一派などにつけ込まれました
井伊大老は、全責任を一身に背負い、陛下の勅許を待たず、条約を結びました
日本国内がまとまっていれば
より有利な条約交渉ができたはずでした・・・

私が特に残念に思うのは、朝鮮との関係です
豊臣秀吉の無茶な朝鮮出兵のために、最悪となった日朝関係を
見事に修復し、永い平和な関係を続けたのが徳川幕府でした
それを、明治政府は、政権を取るや、すぐに毀損してしまいました
朝鮮側にも問題はあったのかもしれませんが
徳川幕府であれば、あのようなことは、あり得ません
日本と朝鮮の関係が良好であれば
その後の東アジアの歴史は
まったく違ったものになっていたことでしょう



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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-02-01 19:51:31
出る杭は打たれしまうのですね。さ
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-01 22:44:18
その時のトップ次第で、世界の歴史が変わっていくのですね。
返信する
Unknown (Unknown)
2017-02-04 06:06:58
韓国が日本に対しての感情もまんざらではないかもしれませんね
返信する

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