今からほぼ半世紀前、北海道の海では
ソ連の警備艇が好きに日本漁船を捕まえ
乗組員を強制労働に使い、奪った漁船はソ連の漁民に払い下げていました
日本の漁民は強制労働を5年間くらいさせられた後、返されました
当時、ある新聞記者が抑留漁船員の留守宅を取材しました
漁船員の妻は、抑留中に生まれた娘に
「これがおとうさんだよ」
と、1枚の写真を見せていました
その傍らで、おじいさんが
「昔はよかった」
と遠い目で、昔話を聞かせてくれました
南樺太がまだ日本領だった頃
漁船はオホーツク海の奥の奥まで行きました
それをソ連艦がハイエナのように襲ってきます
日本漁船は逃げます
ソ連艦は日本漁船より船足が速い
もうダメかと思ったその時、忽然と黒い艦影が現れ
急速に迫ってきました
「我が駆逐艦だった。みんな歓喜の声を上げた。ソ連艦は逃げて行った。」
「すれ違う艦の舷側から、水兵が手を振っていた。涙が止まらなかった。」
大日本帝国海軍と日本漁民との関係はそのようなものでした・・・
ソ連の警備艇が好きに日本漁船を捕まえ
乗組員を強制労働に使い、奪った漁船はソ連の漁民に払い下げていました
日本の漁民は強制労働を5年間くらいさせられた後、返されました
当時、ある新聞記者が抑留漁船員の留守宅を取材しました
漁船員の妻は、抑留中に生まれた娘に
「これがおとうさんだよ」
と、1枚の写真を見せていました
その傍らで、おじいさんが
「昔はよかった」
と遠い目で、昔話を聞かせてくれました
南樺太がまだ日本領だった頃
漁船はオホーツク海の奥の奥まで行きました
それをソ連艦がハイエナのように襲ってきます
日本漁船は逃げます
ソ連艦は日本漁船より船足が速い
もうダメかと思ったその時、忽然と黒い艦影が現れ
急速に迫ってきました
「我が駆逐艦だった。みんな歓喜の声を上げた。ソ連艦は逃げて行った。」
「すれ違う艦の舷側から、水兵が手を振っていた。涙が止まらなかった。」
大日本帝国海軍と日本漁民との関係はそのようなものでした・・・