湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

豊臣秀吉の野望

2016-02-19 16:49:23 | Weblog
私が馬と武士の関係に注目した動機は
関東地方の覇者が全国の覇者となる理由を考えたことです

豊臣秀吉により、徳川家康は関八州に移封されました
結果として、このことが
家康による天下統一と徳川幕府の成立をもたらす要因となりました

豊臣秀吉は、決定的なミスを犯したことになります

関東移封が決まった時
徳川家康は、心の底で小躍りしたはずです
表向きは、駿河を離れ、甲斐を手放すことに残念なふうを装ったかもしれません
しかし本音は「やったァ-」と叫びたくなるほど嬉しかったはずです
上杉謙信も武田信玄も、そして徳川家康も武士の子です
武士なら、関東の重要性は十分に認識しています
謙信も信玄も関東を欲しました・・・当然、家康も、そうだったはずです

関西の武家政権は、ことごとく敗れます
平家、足利、そして豊臣
いずれも、権力維持を金銭に頼り
貿易に活路を見出そうとするのですが、政権を失いました

私は、はじめ、豊臣秀吉は武士の子ではないので
馬の重要性に気付かず、関東の重要性を見落としたのかなと考えました
実際、秀吉は、城攻めや築城は得意ですが
野戦で、馬上、直接指揮を執って活躍したという話は聞きません
その点は、徳川家康や織田信長、武田信玄、上杉謙信とは違います
彼ら戦国武将の多くは、武士の子であり、馬上の指揮官です
豊臣秀吉は、武士の統領である征夷大将軍の称号を欲せず
太閤や関白という、公家の称号を欲しました

しかし、釈然としません
豊臣秀吉が、平清盛や足利義満と同程度の人物であるとは思えないからです

現代の私達は、過去の歴史を知っています
群雄割拠の戦国時代を終わらせ、全国統一と泰平の世をもたらすことが
すなわち、徳川家康の功績が、歴史の正解であると考えます
しかし、もし、別の正解があったとしたら・・・

私は別の正解に気付きました
少なくとも、豊臣秀吉にとっては
日本の戦国時代の終わりは、徳川家康とは別の答えだったのです
秀吉は、家康とは別の未来を想定していました

豊臣秀吉にとっては
日本全国統一や、戦国乱世を終わらせることは
最終目的では無かったのです

豊臣秀吉の最終目的とは、ずばり

「世界制覇」

でした

豊臣秀吉は、明に攻め込み、東アジアを征し
最終的にはヨーロッパも下し
世界制覇を実現しようとしていたのです

日本だけのことを考えるなら、関東は重要です
しかし、世界制覇を考えると、さほど重要度はありません
家康が、関東にいて満足し、おとなしくしていれば
その間に、世界制覇プログラムを実現しようと
秀吉は、考えていたのです

私の考えを妄想だという人は、歴史を知っているからです
しかし、歴史の当事者は、歴史を知りません
実際の歴史は、当事者達の思惑とは違う形で実現していくのです
私達だって、5年先のことさえ、何も分かりません
人は、それぞれ、様々な思惑を持って、未来を考えています
しかし、その通りに未来が展開するわけではありません・・・
歴史は、あくまで結果なのです





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