無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『Liner Voice+』英語版の『Find Love』のパートでは(“Part8”にあたるんですかね)曲のことのみならず昨年6月末のノンバイナリ発言についても語ってくれている。「暫くSNSをみるのも怖かった」と言うのを聞いて、幾つかの異なる感情が湧き上がった。

少し前にヒカルがジャケ写ネタの引用リツイートをした時、『一時間くらいエゴサした』と呟いたのが話題になった。
https://twitter.com/utadahikaru/status/1485587435765612544
つまり、エゴサなんてことが出来る今だからそういう風にノンバイナリ発言を振り返れるのだろうなと。もしノンバイナリ発言に対するリアクションが総体的に手厳しいものだったとしたら、未だに怖くてエゴサなんか出来ないかもしれなかったのだ。

このツイートも、思い出す。

『先日、週刊誌の記者に突撃されて「一週間家に張り着いて尾行してた」と言われ色々変な質問されたけど、なんかもう怖くて気持ち悪かったので一言も答えなかった。今までは何されても「彼らも仕事だし」と流してたけど、今回の一連のことで完全にマスコミ恐怖症になってしまった。』
posted at 2013/9/18/07:11:19

マスコミ、と言うとついつい他人事のように思ってしまうが、我々が彼らの作る記事や映像にアクセスするから彼らはそういう仕事をするのだ。マスコミというのは、大雑把に言えば我々の目線の延長線上にしかない。ヒカルは大衆からの目線が怖いと言っていたも同義だった。

SNSも、また同様で、人の目や声に触れるのが怖くなる時がまだまだあるのだろう。特に昨年のノンバイナリ発言は『勇気を出して』『くまちゃんと一緒に映って』送り出した言葉だったので、それがどういう風に晒されるかは気が気でなかったのではないか。新曲の評判をきくのよりもずっと怖かったかもしれない。

そんな中でも暖かい言葉をかけてくれた人たちに感謝を、とライナーの最後を締め括っていたので、ヒカルがノンバイナリ発言を自ら肯定的に捉えていてその点については安堵した。自分に似合う言葉が見つかった事を報告してなにゆえその是非が問われねばならぬのかと憤りたいところだったが、そういや日本語圏は「この服私に似合ってるでしょ?」って呟いたら叩かれる空間だったわね。そりゃ不安にもなるわ。

ともあれ、そういった恐怖を乗り越えただけあって、『BADモード』の出来栄えもそれにまつわる発言も非常にポジティブな方向性に纏まっている。雨降って地固まるじゃないけれど、『雨雨どっか行け』って呪文の効き目はかなりのものだったみたいだね。



で、全くの余談になるが、ヒカルのツイログで『恐怖』という単語で検索したら、ヒカルが恐怖を感じるのは以下の3つであった。


・乗り物酔い
・締め切り
・マスコミ

https://twilog.org/utadahikaru/search?word=%E6%81%90%E6%80%96&ao=a

うむ、生き方が反映されてる感じがして真に象徴的ですね。このツイートを引用して今夜は締め括っときましょっか。

『私のイメージだと、愛の対局にあるものは恐怖かな』

https://twitter.com/utadahikaru/status/264210705224445954

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「ずっとここで宇多田ヒカルのこと書いてると外から宇多田ヒカルがどう見られてるのかよくわからない」とは度々書いてきたが、わからないなりに、今の注目度は尋常じゃないんだろうなというのは何となくわかる。あんまり参考にならないかもしれないが、この日記のアクセス数はこの3週間ずっと普段の倍の数値のようだ。(もうちょいこまめに見ようね私さん)

今ヒカルがテレビに出てないというのがどれくらいの影響の差を生んでるのかはよくわからない。サブスクが主体になってよりテレビ視聴の同時体験が影響力を発揮してるとかあるかもしれないなとか、色々考える。

一方で、例えば先週。テレビドラマ「最愛」がTver史上歴代1位の視聴数を獲得したというニュースがあった。喜ばしい限りだが、「民放見逃し配信サイトで人気」というのは、テレビで人気があったのかネットで人気があったのかよくわからない。テレビは観るけどネットはよくわからん、という人からテレビ受像機をそもそも持ってない人まで多様なんだろうかな。

こういう時に宇多田ヒカルという人のイメージはどこに置かれているのか。そうそうテレビには出ないが、昨年夏は資生堂のCMである程度顔を見せてた…のかな? あれテレビで流れても外タレの1人みたいに思われなかっただろうか。

だったらもう昔みたいにテレビでの露出を考えなくてもいいのかな。情報番組でとり上げてもらう必要はあるんだろうが。

寧ろツイッターとインスタグラムで同業者に絶賛してもらう方がいいのかもしれない。それこそ昔は、同業者間で評判の高い音楽家はミュージシャン'ズ・ミュージシャンという呼ばれ方をして大衆支持との乖離を強調していたものだが、今はそのリスペクト相手の音源がたちどころに聴ける。ひとつひとつの効果は小さいかもしれないが、積み重なっていくと侮れないだろう。

『BADモード』は同業者の評価が恐ろしく高いだろう。最早彼らも単なるリスナーの1人になってしまってライバルやってくれそうな人が見当たらない状況だ。格好だけでも真似てくれた最初期の倉木麻衣や、ベストアルバムの発売日をずらしてくれた浜崎あゆみが懐かしい。もう今はそういうことをする気にもならないだろう。YOASOBIやOfficial髭男dismの再生回数はヒカルの十倍二十倍だが、あそこから成長して音楽的にライバルになってくれるかというとなかなかに難しい。

まぁそもそも、音楽をやっているのにライバルって何?というのが若い人の感覚だったりするんかもな。直接試合をするわけでもないのにね。YouTubeやサブスクでどれも手っ取り早く音が聴ける今、何かと競うプロモーション自体が効果を減じていくのかもしれない。それでも再生回数や視聴数などが宣伝材料になるのは間違いない訳で、そうなってくると、ヒカルの叩き出してる数字はまだまだ物足りないのかもしれないな。ここから3週間のプロモーションがどうなるか、じっくり見させてもらうとするわん。

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